新年あけましておめでとうございます!

太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

太宰府といえばだれもが思い浮かぶのが太宰府天満宮。

4年ぶりに大幅にリニューアルしました。ご覧ください。

太宰府天満宮

 

菅原道真公の墓所の上に社殿を造営して、その神霊を奉祀する神社で学問の神様、至誠の神として世の崇敬を集めている。

903年2月25日菅公は蟄居の地南館(榎社)において生涯を終え、その後遺骸を牛車に乗せて進んだところ間もなくその牛が伏して動かなくなった。これは菅公の希望であろうとこの地に遺骸を葬った。

905年門弟味酒安行はここに神社を創建。

次いで919年左大臣藤原仲平(讒訴した左大臣藤原時平の弟)が社殿を造営。

現在の本殿は1591年筑前国主小早川隆景が5ケ年かけて竣工。

桃山時代の豪壮華麗な様式を伝え国の重要文化財に指定されている。(参考:大宰府天満宮略記)

全国約12000社の天満宮の総本社である。

 

904年 防府天満宮創建

 

947年 北野天満宮創建

 

菅原道真

845年~903年。京都に生まれた平安時代の学者、漢詩人、政治家、右大臣。宇多天皇に重用され昇進し、醍醐天皇の時には右大臣にまで昇進。

しかし左大臣藤原時平の讒訴により901年大宰府へ権帥として左遷され、903年に当地で没す(59才)。

死後天変地異が多発したことから朝廷に祟りをなしたとされ「天満大自在天神」という神の位を与え以後信仰の対象となる。

現在は学問の神様、誠心の神として信仰されている。(参考:さいふまいりのお伴に)

 

太宰府天満宮の呼称の由来

当初は天原山安楽寺天満宮(神仏混交)と称す。

明治初年の神仏分離令により太宰府天満宮(神道)となる。

天原山安楽寺とは

本尊
法華経八巻(道真公直筆)・・・廃仏毀釈で焼かれた

歴史

安楽寺はその昔、現太宰府天満宮の敷地にあった。もともと安楽寺の敷地内に天満宮が建立され、神仏混合で安楽寺と天満宮が共存していた。 明治維新の神仏分離の処置で、天満宮周辺に住む多くの社僧は復飾・還俗や財産処分などを余儀なくされる。 講堂、仁王門、本願寺、法華堂などの建物や多くの仏像などは売却あるいは破壊され、安楽寺は廃寺となる。

場所

安楽寺のあった場所は現在の天然記念物の大樟の後ろにあり参道は現甘木屋前にあった仁王門から幼稚園の前を通る道路だったそうです。

 

先ず参道の入口、一の鳥居人出が多いですね。

 

太宰府天満宮の碑

昭和22年「太宰府天満宮」を正式名称とする。

 

「太宰府天満宮」名称の推移↓

 

境内には11体の御神牛の像があります

全部見つけると願いが叶うそうですよ。

 

 

菅原道真公の歌碑

「東風吹かば においおこせや梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」

 

 

太宰府天満宮、心字池に架かる太鼓橋

仏教の三世一念の思想から造られたと言われています。

手前から過去、現在、未来 三世の邪念を橋を渡ることによって祓い、楼門手前の手水鉢で手を清めます。

●最初の橋は過去の橋で太鼓橋、ここを渡るときは後ろを振り返らない

●二番目の橋は現在の橋で直橋、ここを渡るときは立ち止まらない

●三番目の橋は未来の橋で太鼓橋、ここを渡るときはつまずかないように

神仏混交の時代に造られているので天満宮(神道)に仏教の思想を取り入れていますね。

 

 

 

志賀社(重要文化財)

二番目の直橋の袂にあり見逃しがちですのでお見逃しのないように。

海の神 綿津見三神を祀っている。1459建立されたといわれ、精巧なつくりと変化のある屋根等全体として美しい工芸品ともいうべきであり、国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

楼門手前の手水鉢

 

 

太宰府天満宮楼門

再建石田三成 築1596年~1615年

 

 

太宰府天満宮本殿

 

太宰府天満宮の本殿は、向拝(こうはい・ごはい)という庇のついた「流造(ながれづくり)」となっています。

流造は神社建築では最も一般的な形の1つで、本を開いて前後に伏せたような切妻屋根ですが、前の方が長くなっているのが特徴になります。

前方の屋根は長く伸びてそのまま庇となり、その斜面が流れるようなので、「流造」と言います。

太宰府天満宮の本殿の特徴の1つは、流造の屋根に、更に唐破風が付いた庇が設けられているという点です。

唐破風とは本殿正面に見える曲線になった部分で、これは本殿の左右に設けられた車寄せにも付いています。

桃山時代の特徴とも言える豪華絢爛な姿で、極彩色の彫刻も見事です。屋根は、檜(ひのき)の皮を竹釘で留めた檜皮葺(ひわだぶき)です。檜皮葺の屋根は、伝統的に、神殿や宮殿に採用されてきました。

 

太宰府天満宮 飛梅満開のころ

向かって右が飛梅です。

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」菅原道真

都の紅梅殿の梅に別れを惜しまれつつ太宰府へ下られた菅公を慕って一夜のうちに飛来したと伝えられのがこの飛梅です。

飛梅は境内の梅にさきがけて正月早々から咲き始めます。

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小早川隆景は本殿前の回廊で囲まれた一角に中庭、回廊、小川を配し公家の寝殿造りを参考に再建したといわれています。

飛 梅

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「飛梅」の「飛」には何羽の鳥がいる?

 

12.24のほころび始めている飛梅のつぼみ

 

向かって左側の橘

 

(撮影12.31)

 

曲水の庭

曲水の宴が行われる庭

 

 

 

 

8:30からの太宰府天満宮の朝拝

朝のお掃除清々しいですね

 

巫女さんも勢ぞろい

 

 

参拝客へ神主さんのお祓い

 

 

境内にある四つの国の天然記念物

夫婦樟、ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)、大樟、ひろはちしゃの木。

 

楼門手前右にある麒麟の銅像

竜馬も絡みキリンビールの名前の由来はこの像だそうですよ。

 

天満宮の職員さん「天満宮で是非見てほしいものが4つあります」

「飛梅 、大樟、梅の種納め所、撫で牛」だそうです。

「撫で牛」の中に大樟、梅の種納め所のリンクを貼ってます。

 

太宰府天満宮のイベント

たくさんある中で主だったものを紹介します

①鷽替え神事と鬼すべ神事

 

②菊花展

 

 

③夜間照明の花菖蒲

④古都の光

 

心字池の太鼓橋

 

古都の舞

 

 

⑤七夕祭

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⑥天神ねぶた祭り

楼門

 

 

⑦ブルーライトアップ

本殿

 

楼門

 

 

⑧大宰府天満宮秋思祭

 

⑨神幸式大祭

 

⑩紅葉のころ

 

 

ざっと掲げただけでもこれだけあります。知らないイベントもまだまだたくさんあると思います。

みなさんも気づかれましたら是非教えてください。

これだけのイベントを催していく職員の皆さんの開発力、企画力の素晴らしさに参拝客増加の大きな要因があり、またみなさんの忙しさは想像を超えるものがあると思います。

参拝客はコロナ前、九州国立博物館が出来る前で年間650万といわれ、完成後800万、その後海外からのインバウンドの増加で1000万は超えていたと思われます。

今や世界に誇る大宰府の文化遺産の一つ(天満宮本殿は国の重要文化財)ですので地元のわたしたちもできるだけのお手伝いをしていこうと思います。

 

昨年は一年間お付き合いいただき本当にありがとうございました。

みなさまからの温かい励ましのコメントやメール、写真のご提供などのお蔭でなんとかここまでやってこれました。

今年も皆さまに喜んでいただけるようなフレッシュな情報を提供していこうと思っていますのでどうぞご期待していてください。

今年がみなさまにとりましてすばらしい年になりますことをお祈りしています。

 

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塾長より

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