こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
清水山 観世音寺とは
観世音寺の名前の由来は御本尊が聖観世音菩薩立像であることからきています。
宗派は当初律宗でしたけど現在は天台宗です。
往時の全景
入口の石碑
663年の白村江の戦いから約80年後の746年天智天皇(斉明天皇の息子)が白村江の戦いの総指揮官であった母の菩提寺として創建。
その規模は南大門、中門、五重塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊など七堂伽藍を完備した西日本随一の壮大を誇っていました。
80年後とは遅すぎますけどその理由は日本が白村江の戦いに敗れ新羅、唐からの侵攻を防ぐために早急に那の津にあった官家を太宰府に移設し、大宰府政庁を建設し防衛施設の水城堤を造る必要があったために菩提寺の建設が後回しになったからのようです。
なお、当時の観世音寺の規模は今の約3倍あり大宰府政庁と同規模くらいで西日本一の規模といわれていました。
観世音寺本堂
ツアーに参加のみなさんと記念撮影!
碾磑(てんがい 天平石臼)
重要美術品
木槵樹(もくげんじゅ)
「数珠の玉に用いられ念仏百万編唱うれば往生の本願疑いなしと言われている」
金堂
五重塔心礎
僧房跡
観世音寺にある九州最古の梵鐘
国宝の梵鐘
日本の音風景100選に選ばれています。
菅公の詩に「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る 観音寺は唯(ただ)鐘声を聴く」とあるのはこの鐘であります。
「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る」は都府楼(政庁)の瓦を見る。出勤は禁じられていましたので榎社の住まいから政庁の瓦と観世音寺の鐘の音を聞いていたということだろうと思います。
現在残っている創建当時のものは、京都妙心寺の鐘と共に日本最古といわれています。
普段は金網がはっていますが、除夜の鐘の時だけつくことができます。
注意書き
国宝『梵鐘』は、九州国立博物館で、2020年5月19日より公開されています。
境内の楠のアオバズク(準絶滅危惧種)
6月29日オスは見張りをしてメスはタマゴを温めているそうです。
本堂手前左にある天智院
茶室として用いられています。
茶室に改装するに際して水城木樋の一部を加工して、天井板や衝立として再利用しています。
紅葉のころ!
観世音寺の宝蔵
観世音寺宝蔵横の菜の花
観世音寺宝蔵横のコスモス
宝蔵
1959年建築
2023年11月26日太宰府市初の国の登録文化財に登録
理由は「寺院建築の意匠に基づいた和風意匠を基調としている外観が、端正かつ優美な戦後の和風建築」として評価されたものです。
昭和34年(1959年)多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設されました。
746年建立の観世音寺にあった仏像16体を収納しています。
すべて重要文化財でなかには4~5mを超える大きなものも3体あり奈良時代におけるこの観世音寺の隆盛を物語っています。
特に5.03mの馬頭観世音菩薩立像は我が国の馬頭観音の代表作と賞されています。
聖観音坐像や馬頭観音など、大きな仏像が並んでいて圧倒されるほどです。九州の寺としては貴重な仏像がこれだけ集まっているところはないでしょうし、京都や奈良の寺と比べてもかなり見ごたえのあるところでした。
静かな中での鑑賞は心洗われます。
戒壇院とは
奈良時代、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも呼ばれています。
他には中央に奈良の東大寺、東に栃木の下野薬師寺、そしてこの太宰府の戒壇院の三つを三戒壇といいます。
秋の彼岸の頃
「葷酒、肉 境内に入るを許さず」
くさいにおいのする野菜(ニンニク等)、酒、肉は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない。
禅寺の門の前の戒壇石という石の柱に書かれています。
以前は一本の柱だったのが真ん中辺りから折れています。
戒壇院本堂
ご本尊の盧舎那仏像、左は弥勒菩薩像、右は文殊菩薩像
開祖は日本の歴史では知らない人がいないかの有名な僧侶 鑑真和上です。
鑑真和上は奈良時代、唐から日本に帰化した高僧で、日本における律宗の開祖です。
時の天皇である聖武天皇の勅願によって観世音寺の境内に今の戒壇院が建てられました。
鐘楼
鑑真和上の供養塔
境内にある地蔵菩薩
戒壇院の菩提樹
鑑真和上が唐から仏舎利(お釈迦様の骨)と一緒に持ち帰ったと言われています。
5.25蕾はまだこれくらい
6月頃が見頃で菩提樹の花が咲くとなんとも良い香りがします。
8.8撮影
実はお数珠になります。
戒壇院の木槵樹(もくげんじゅ)
菩提樹の一種の木槵樹は落葉樹で、6月下旬に黄色い花を咲かせ、秋には直径6ミリ程度の褐色の丸い実をつけきれいな球形でお数珠になります。
戒壇院境内本殿に向かって左側にあります。右側には菩提樹あります。
戒壇院では、菩提樹の花が終わると、木槵樹の花が咲きだします。
どちらも実は数珠に使われ、木槵樹は8月になると菩提樹より大きな美しい実が鈴なりになります。
8.8 袋はほうずき状
中を開けたら実は6コ入っていました。
菩提樹の実は1コずつなりますけど木槵樹(もくげんじゅ)の実は袋の中に入ります。
戒壇院で座禅会・写経会
戒壇院では座禅会・写経会が開催されています。
座禅会
毎月第1・3・5日曜の午前8時~9時半まで
2018年4月から第2・4木曜の朝9時からも開催されるようになりました。
写経会
毎月第2・4日曜日午前8時~9時半まで
史跡は歴史の背景が思い浮かんできますので何度言っても思い入れが深まるばかりです。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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この一画は西日本随一の寺院だったんですか。すごい歴史ですね。
確か観世音寺の鐘は年末のゆく年くる年の除夜の鐘で放映さるとか聞いたことあります。
オレンジジュースさんコメントありがとうございました。
そうなんですね!鐘の音のよさもあるでしょうけどやはり天皇の菩提寺という格式のあるところも選ばれている理由の一つかもしれませんね。
おはようございます。戒壇院から観世音寺一帯は子供の頃からよく遊んでいましたが、昔と変わらない風景がいいですね。
ansett747さんコメントありがとうございました。生粋の大宰府っ子ですね。わたしも旭地蔵から政庁跡までの道が京都嵯峨野を彷彿させ一番好きです。特に春がいいですね。
コスモスを見ると心も明るくなりますね😍
Storchさんコメントありがとうございました。最近は色の種類も増えカラフルで確かに心明るくなりますね。
菅公の漢詩(都府楼の瓦、観音寺の鐘)にあるように当時は壮大な風景だったことでしょう。調べるとこの詩(不出門)は万死競競で始まるのですね、自分が小学生の頃親父が詩吟で歌っているのが耳に残っており、今になってやっと解決しました。塾長に感謝
若宮征之助さんコメントありがとうございます。
そうですか。わたしも子どもの頃父が詩吟で歌ってまして太宰府に来て理解しました。
先日、妻と二人で戒壇院を訪れました。境内の菩提樹など写真を撮っていたら、住職?らしき方から、写真は無断で撮らないようにとのご注意がありました。確かに、ここにお住まいになってるのはわかりますが、戒壇院は一般の寺院とは違い、歴史的建造物でもあります。ご住職を探してその都度撮影の許可を受けなければならないものでしょうか。今後のこともありますのでお尋ねしました。
渡邊俊行 様、先ほど戒壇院に確認しました。「許可なしには写真撮影は禁止しています」とのことでした。どこも例えば天満宮や光明禅寺、隣の観世音寺も自由に撮れますよと言ったら「そうですか。当寺は私有地だから許可なしに撮影できません。みなさんも自分の家を勝手に撮影されたらいやでしょう」との回答でした。
多分心無い撮影者が迷惑行為をしたのかもしれませんね。
今までわたしも何年も自由に撮影してきましたけど今後は許可をとり撮影しようと思います。
PS渡邊俊行様、天満宮横の光明禅寺、ここも以前は景観も見事な一滴海の庭など自由に撮影していましたけどインバウンドで海外から多くの参拝客が訪れ始め庭に入っての撮影など不心者がいたのでしょう数年前から撮影禁止になりました。茶室からも庭を拝観してましけど入室禁止になりました。