大宰府政庁(都府楼)とは?
都府楼とは
中国式の名称で都督府(官庁)の楼閣(高級な建物)のことです。
大宰府政庁の廃絶
大宰府政庁は律令制の崩壊とともに1000年代中頃には衰退が見え始め、平安末期には政治的な中心地は博多へ移り、そして鎌倉時代に鎮西探題(幕府の九州統括機関)が博多に置かれると、大宰府は実権を失って機能を停止しました。
大宰府政庁跡のパワースポット
大宰府政庁をここに造った理由
この地が四神相応の地であるからです。
後背地に宝満山、四王寺山を控えその気が一気にここに集まると言われています。
四神相応の地とは東アジア・中華文明圏において、大地の四方の方角を司る「四神(玄武(北)・青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西))」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいいます。
史跡大宰府跡の碑
後ろの山は四王寺山
岩屋城は山の右端にあります。
全景
何も建物がないところがいいです。
大宰府政庁跡の広い敷地の中央の奥にある3つの碑
正殿が建っていたところ。
右から
●太宰府碑:福岡藩西学問甘棠館の館長亀井南瞑撰文。南冥没後100年の1914年建立。
●都督府古址:1871年現大野城市の大庄屋高原善七郎美徳建立。
●太宰府址碑:1880年大宰府政庁跡が煙滅することを恐れた御笠郡の人々が建立。福岡県令渡辺清の撰。
この碑の前が太宰府一のパワースポットといわれています。
風水によると後ろに控える四王寺山や宝満山の気がここで一気に噴き出すところといわれています。
以前若い女性はビリビリ来ますと言っていました。
また鬼門の北東に竈門神社を造って防御しています。
大宰府政庁跡梅のころ
大宰府政庁跡桜のころ
大宰府政庁跡紅葉のころ
大宰府学校院跡
(政庁跡から市役所方面へ100mほどの場所にあります)
太宰府の役人の養成機関
山上憶良の碑
(学校院跡の近くにあります)
「うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ
いづくより きたりしものそ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ」
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
各所の写真がとてもよく撮れています、説明文も簡潔で解りやすいですね、ありがとうございます。
匿名さんコメントありがとうございました。お誉めにあずかりこれからも精進します。
菊池の古代山城「鞠智城」は、外国からの敵の侵入をふせぐために665年ころに造られたと言われていますが、その頃は郭無双がすでに都府楼に駐留していたのではないかと思います。郭無双の駐留期間中に「大野城」や「鞠智城」などがつくれるでしょうか?各無双はいつ頃何の目的で都府楼に来たのでしょうか。お教えください。
中原英さんコメントありがとうございました。詳しいですね。
「白村江戦い後、鞠智城の築城は、大宰府と連動した軍事施設で、大野城・基肄城などとともに北部九州の防衛拠点であり、兵站基地や有明海からの侵攻に対する構えなどが考えられている」とありますので、郭無双は鞠智城の建設に関わった百済からの亡命者(台湾系?)ではなかろうかと思われますけど、初めて聞いた名前でわかりませんので、今大宰府市に問合せしているところです。
詳細わかればこの欄で回答いたします。よろしくお願いします。
コメントいただいた菊池の中原英さんへの回答です。
以下太宰府市文化財課の方からの回答です。
さて、お待たせしました宿題のお答えです。
郭務そう(かくむそう)について、大宰府市公文書館の方に教えていただきました。「そう」の漢字は、りっしんべんに宗と書きます。
郭務そうは唐の官人で、天智天皇3(664)年5月に百済鎮将の使人として、来日しています。しかし、朝廷は正式な唐の使者ではないとして、上京させていないようで、郭務そうはその年の冬に離日しています。
この時の来日の目的ですが、明確な記載がなくわかっておらず、いろいろと研究がなされているようです。
ひとつの説として、元九州歴史資料館の倉住靖彦氏の『古代の大宰府』によれば、戦後の日本との接触ないし国交回復のための予備交渉ではないかと推測されています。なお、この時は筑紫まで来ずに対馬までしか来ていないのではないかとも考えられています。戦後すぐ状況下で危険を冒したくない郭務そうと築城など行っている状況を見せたくない日本側との思惑が一致した結果かもしれません。
ですので、大野城や鞠智城の工事状況は見ていない可能性が高いですね。
太宰府市文化財課Mさん早速お骨折りいただきありがとうございました。
あちこち調べましたけど名前さえ出て来ず困っていたところでした。
さすが公文書館ですね!これもMさんのお陰です。本当にありがとうございました。