こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
746年天智天皇(斉明天皇の息子)が白村江の戦いの総指揮官であった母斉明天皇の菩提寺として創建。
太宰府の歴史上、大宰府政庁跡、太宰府天満宮に次いでベスト3に入る価値のある史跡だと思います。
2019年12月25日のブログを改訂。

観世音寺とは
太宰府市観世音寺5-6-1
092-922-1811
観世音寺の名前の由来は本尊が聖観世音菩薩坐像であることからきている。
宗派は当初律宗だったが現在は天台宗。
往時の全景

入口の寺標
663年の白村江の戦いから約80年後の746年天智天皇(斉明天皇の息子)が白村江の戦いの総指揮官であった母の菩提寺として創建。
その規模は南大門、中門、五重塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊など七堂伽藍を完備した西日本随一の壮大を誇っていた。
80年後とは遅すぎるけどその理由は日本が白村江の戦いに敗れ新羅、唐からの侵攻を防ぐために早急に那の津にあった官家(みやけ)を太宰府に移設し、大宰府政庁を建設し防衛施設の水城堤を造る必要があったために菩提寺の建設が後回しになったからである。
なお、当時の観世音寺の規模は今の約3倍あり大宰府政庁と同規模くらいで西日本一の規模といわれていた。
観世音寺本堂
ツアーに参加のみなさんと記念撮影!

(中央が塾長)
碾磑(てんがい 天平石臼)
重要美術品

木槵樹(もくげんじゅ)
「数珠の玉に用いられ念仏百万編唱うれば往生の本願疑いなしと言われている」
金堂
五重塔心礎

僧房跡


観世音寺にある日本最古の梵鐘
国宝の梵鐘
日本の音風景100選に選ばれている。
菅公の詩に「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る 観音寺は唯(ただ)鐘声を聴く」とあるのはこの鐘である。
「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る」は都府楼(政庁)の瓦を見る。出勤は禁じられていたので榎社の住まいから政庁の瓦と観世音寺の鐘の音をだけを聞いていたといわれる。

現在残っている創建当時のものは、京都妙心寺の鐘と共に日本最古といわれている。
国宝『梵鐘』は、現在は九州国立博物館で、2020年5月19日より公開されている。

境内の楠のアオバズク(準絶滅危惧種)

本堂手前左にある天智院
茶室として用いられている。
茶室に改装するに際して水城の木樋の一部を加工して、天井板や衝立として再利用。

紅葉のころ!





観世音寺の宝蔵
1959年建築
2024年3月6日太宰府市初の国の登録有形文化財(建造物)に登録
「寺院建築の意匠に基づいた和風意匠を基調としている外観が、端正かつ優美な戦後の和風建築」と評価される。

昭和34年(1959年)多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫を建設。

746年建立の観世音寺にあった仏像16体を収納。
すべて重要文化財でなかには4~5mを超える大きなものも3体あり奈良時代におけるこの観世音寺の隆盛を物語っている。
特に5.03mの馬頭観世音菩薩立像は我が国の馬頭観音の代表作と賞されている。
聖観音坐像や馬頭観音など、大きな仏像が並んでいて圧倒される。九州の寺としては貴重な仏像がこれだけ集まっているところは他になく、京都や奈良の寺と比べても遜色ない。
観世音寺宝蔵横の菜の花

観世音寺宝蔵横のコスモス


戒壇院とは
太宰府市観世音寺5-7-10
092-710-1351
奈良時代、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも呼ばれていた。
中央に奈良の東大寺、東に栃木の下野薬師寺、そしてここ太宰府の戒壇院の三つを三戒壇という。
秋の彼岸の頃

「葷酒、肉 境内に入るを許さず」
においの強い野菜(ニンニク等)、酒、肉は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない。
門の前の戒壇石という石の柱に書かれている。
以前は一本の柱だったのが真ん中辺りから折れて二本になっている。

戒壇院本堂

ご本尊の盧舎那仏像、左は弥勒菩薩像、右は文殊菩薩像

開祖は日本の歴史では知らない人がいないかの有名な鑑真和上。
鑑真和上は奈良時代、唐から日本に帰化した高僧で、日本における律宗の開祖。
時の天皇である聖武天皇の勅願によって観世音寺の境内に今の戒壇院が建てられた。
鑑真和上の供養塔

戒壇院の菩提樹
天然記念物
鑑真和上が唐から仏舎利(お釈迦様の骨)と一緒に持ち帰ったと言われている。

5.25蕾はまだこれくらい

6月頃が見頃で菩提樹の花が咲くと良い香りに包まれる。

8.8撮影
実はお数珠になる。

戒壇院の木槵樹(もくげんじゅ)
菩提樹の一種の木槵樹は落葉樹で、6月下旬に黄色い花を咲かせ、秋には直径6ミリ程度の褐色の丸い実をつけきれいな球形でお数珠になる。
戒壇院境内本殿に向かって左側にある。右側には菩提樹。
戒壇院では、菩提樹の花が終わると、木槵樹の花が咲きだす。
どちらも実は数珠に使われ、木槵樹は8月になると菩提樹より大きな美しい実が鈴なりになる。

8.8 袋はほうずき状

中を開けたら実は6コ入っていた。

菩提樹の実は1個ずつなるけど木槵樹(もくげんじゅ)の実は袋の中に入っている。
戒壇院で座禅会・写経会
戒壇院では座禅会・写経会が開催されている。
座禅会
毎月第1・3・5日曜日午前8時~10時過ぎ
写経会
毎月第2・4日曜日午前8時~10時
8:00~8:30 座禅
8:30~写経
史跡は歴史の背景が思い浮かんでくるので何度言っても思い入れが深まるばかりです。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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この一画は西日本随一の寺院だったんですか。すごい歴史ですね。
確か観世音寺の鐘は年末のゆく年くる年の除夜の鐘で放映さるとか聞いたことあります。
オレンジジュースさんコメントありがとうございました。
そうなんですね!鐘の音のよさもあるでしょうけどやはり天皇の菩提寺という格式のあるところも選ばれている理由の一つかもしれませんね。
おはようございます。戒壇院から観世音寺一帯は子供の頃からよく遊んでいましたが、昔と変わらない風景がいいですね。
ansett747さんコメントありがとうございました。生粋の大宰府っ子ですね。わたしも旭地蔵から政庁跡までの道が京都嵯峨野を彷彿させ一番好きです。特に春がいいですね。
コスモスを見ると心も明るくなりますね😍
Storchさんコメントありがとうございました。最近は色の種類も増えカラフルで確かに心明るくなりますね。
菅公の漢詩(都府楼の瓦、観音寺の鐘)にあるように当時は壮大な風景だったことでしょう。調べるとこの詩(不出門)は万死競競で始まるのですね、自分が小学生の頃親父が詩吟で歌っているのが耳に残っており、今になってやっと解決しました。塾長に感謝
若宮征之助さんコメントありがとうございます。
そうですか。わたしも子どもの頃父が詩吟で歌ってまして太宰府に来て理解しました。
先日、妻と二人で戒壇院を訪れました。境内の菩提樹など写真を撮っていたら、住職?らしき方から、写真は無断で撮らないようにとのご注意がありました。確かに、ここにお住まいになってるのはわかりますが、戒壇院は一般の寺院とは違い、歴史的建造物でもあります。ご住職を探してその都度撮影の許可を受けなければならないものでしょうか。今後のこともありますのでお尋ねしました。
渡邊俊行 様、先ほど戒壇院に確認しました。「許可なしには写真撮影は禁止しています」とのことでした。どこも例えば天満宮や光明禅寺、隣の観世音寺も自由に撮れますよと言ったら「そうですか。当寺は私有地だから許可なしに撮影できません。みなさんも自分の家を勝手に撮影されたらいやでしょう」との回答でした。
多分心無い撮影者が迷惑行為をしたのかもしれませんね。
今までわたしも何年も自由に撮影してきましたけど今後は許可をとり撮影しようと思います。
PS渡邊俊行様、天満宮横の光明禅寺は景観も見事な一滴海の庭など自由に撮影していましたけどインバウンドで海外から多くの参拝客が訪れ始め、庭に入っての撮影など不心者がいたのでしょう数年前から撮影禁止になりました。茶室からも庭を拝観してましたけど入室禁止になりました。
最近戒壇院は境内にお寺の方がおられるときには声かけて撮っています。