こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

朝倉の橘広庭宮を訪ねてきました。

朝倉の橘広庭宮

661年斉明天皇は663年白村江(日本と韓国)の戦いの拠点として朝倉に遷都し大本営を設置。

崩御されるまでの75日間宮殿であったところである。

博多まで40㌔のここに拠点を構えた理由は

①米どころ筑後平野を控え多数の兵隊の食料を賄うため

②卑弥呼が治めていた邪馬台国があったことから

卑弥呼は神功皇后だったという説もあります(朝倉市役所観光課談)。

旧甘木市内には卑弥呼の湯もあります。

宮殿・本陣跡の橘広庭宮

 

辛うじて読めます

 

恵蘇八幡宮

主祭神は

斉明天皇(親)、天智天皇(子)、応神天皇(仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた子)

 

白村江戦いの戦勝祈願のために創建

 

拝殿

 

本殿

 

 

朝倉木丸殿

斉明天皇の亡骸を仮安置したのが恵蘇八幡宮の上の山上に残る御陵で、この時に斎宮として中大兄皇子が造らせたのが木の丸殿この名前は急の造営のため木の丸太のままで造ったことに因む。

 

御陵山

661年7月24日崩御された斉明天皇の御遺骸を、7日後の8月1日に一時葬ったところである。

 

 

漏刻

 

 

斉明天皇は朝倉に来て2か月後に亡くなり息子の天智天皇は菩提寺として太宰府に観世音寺を建立しました。

菩提寺の観世音寺

 

橘広庭宮を何度か探しましたけど中々見つからず今回は朝倉市役所観光課で尋ねてやっとわかりました。

これで白村江の戦い、斉明天皇、太宰府との関わりがわかり大変有意義な秋の一日でした。

神功皇后と卑弥呼についてはまたの機会にアップしようと思います。

 

 

恵蘇八幡宮

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塾長より

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