こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

九州特に福岡の地名○○原(はる・ばる)と呼ぶのはなぜ?

白村江の戦い

562年朝鮮半島の加耶(かや)が滅んで100年後の663年の白村江の戦い(唐と新羅VS百済と日本)で唐と新羅の連合軍に百済と日本の連合軍は大敗し、日本は唐と新羅の侵略に備え大宰府政庁(以下のブログ参照)を移転強化し、水城に水城堤(以下のブログ参照)や対馬に金田城(以下のブログ参照)などを築きます。

九州特に福岡の地名〇〇原(はる・ばる)の由来について

●白村江の戦いのあと、日本との友好を深めるために太宰府に来た新羅の使節は白木原に滞在していました。

白木原(しらきばる)の地名の由来は新羅(しらぎ)からきているだろうといわれています。

●福岡の糸島にある可也山(かやさん)や芥屋(けや)も朝鮮半島の加耶(かや)からきているだろうといわれています。

地図の説明

場所的には金官加耶(地図の赤丸)が今の釜山

金官加耶の右下の細長い島は対馬でその間の距離は50km

 

九州では地名の〇〇原をほとんど〇〇はる・〇〇ばると呼びます。

例えば福岡では白木原(しらきばる)、前原(まえばる)、春日原(かすがばる)、熊本では田原坂(たばるざか)、大分は長者原(ちょうじゃばる)、長崎は世知原(せちばる)、佐賀は中原(なかばる)、宮崎は新田原(にゅうたばる)、東国原(人名 ひがしこくばる)、鹿児島は相原(あいばる)、旭原(あさひばる)、沖縄では山原(やんばる)などなど他にも星の数ほどあります。

韓国では「原」をパル、ボルと読み、村や集落を意味して、これからきているだろうといわれています。

・地名の原はハル・バル、原田はハルダ

・人名の原はハラ、原田はハラダ

●覚え方

地名はハルかバル

人名はハラ

一方本州小田原(おだわら)、関ヶ原(せきがはら)、米原(まいばら)、伊勢原(いせはら)などのようにわらはらばらと呼びます。

本州で原をばると呼ぶのは富山県に針原新町(はりばるしんまち)と針原中(はりばるなか)の二か所だけで九州からの移住者が開いた新地だと考えられています。

地名一つとっても九州は朝鮮半島との繋がりがいかに深いかがわかります。

因みに全国で地名を〇〇はる・〇〇ばると呼ぶのは99か所あり、そのうちなんと97か所が九州・沖縄。

福岡県27か所、佐賀県2か所、長崎県2か所、大分県24か所、熊本県11か所、宮崎県14か所、鹿児島県9か所、沖縄県8か所。

本州は上記富山県の2か所だけ。

大宰府政庁跡

 

上記「大宰府政庁跡」にリンクで以下もご覧ください。

●水城堤(白村江の戦いの後、造った九州最大の防衛施設)

 

●鞠智城(きくちじょう)熊本菊池にあった大宰府の兵站基地

 

●金田城(対馬に大宰府防衛の最前線基地築城)

 

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塾長より

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