こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

当太宰府魅力発見塾のブログでアクセス数3年連続でNO1の人気ブログです。

太宰府天満宮の太鼓橋

 

太宰府天満宮 心字池の読み方

心字池は「しんじいけ」と読みます。

心字池の名前の由来は向かって左側の太宰府天満宮幼稚園側から見ると、池のほとりの曲線と中の島が草書の「心」の形になっていることからこの名前がついています。

この心字池を最初に造ったのは、延喜五年(905)道真公を祀った門弟の味酒安行です。

太宰府天満宮・太鼓橋のそもそもの設置理由

太鼓橋は中国庭園や日本の神社などにしか見られない独特の橋の形状です。

人の渡る面そのものが弧を描く実用性の低い太鼓橋がなぜ今も日本の神社に残っているのかというと、その「渡りにくい」ことに理由があると言われています。

神社における太鼓橋の多くは、参道から社殿へ向かって行く途中にあります。橋ということもあって、まずは神社の周りを取り囲むお堀であったり、点在する池を渡る形で設置されていますが、これは人間の世界から徐々に神の世界へと近づいていくことをあらわしているとされています。

つまり簡単には踏み込めない場所であり、そして水を渡ることでお清めも同時に行われ、俗界に住む人間が神様の居場所へ近づくことを許されていくということなのです。

 

太宰府天満宮の太鼓橋

この太鼓橋と直橋の三つの橋は仏教思想にいう「過去」「現在」「未来」の三世一念の相を現わし、この橋を渡ることによって三世の邪念を払うともいわれ参拝者の身を清める橋でもあります。
そして楼門手前の手水鉢の水で手を清めてお参りします。
 
神仏混交時代に造られていますので神社に仏教思想を取り入れています。そのことに違和感を感じないのが日本なのかもしれません。

太宰府天満宮の太鼓橋・最初の橋(過去の橋)

 

太鼓橋の最初の橋は過去を意味します。

太宰府天満宮の太鼓橋・二番目の直橋( 現在の橋)

 

太鼓橋二番目の橋は現在を表しています。

太宰府天満宮の太鼓橋・三番目の橋(未来の橋)

 

太鼓橋三番目の橋は未来を表しています。

太宰府天満宮の太鼓橋を渡る時の注意点! 

太鼓橋を渡る時の注意点があります。

①「過去」の橋を渡る時は 後ろを振り返らない。

②「現在」の橋を渡る時は 立ち止まらない。

③「未来」の橋を渡る時は つまずかない。

 

太宰府天満宮本殿からの帰りは「過去に遡る」ということになるので、橋を渡らず脇道から帰るのが良いと言われています。

なおこの太鼓橋は黒田長政の寄進といわれています。

 

太宰府天満宮の太鼓橋以外の日本の太鼓橋

日本の神社にある太鼓橋は関東では鶴岡八幡宮、亀戸天神。

大阪の住吉大社、広島の宮島、九州では大宰府天満宮だけではないかと思われます。
神社以外の橋では岩国の錦帯橋、山梨の大月の猿橋。

太鼓橋はほとんど一つの橋ですけど、三つあるのは岩国の錦帯橋と太宰府天満宮くらいのようです。

太宰府天満宮の太鼓橋はここに希少価値があり当ブログ太宰府魅力発見塾の「太宰府天満宮の太鼓橋」がアクセスが3年連続No1を続けている理由がありそうです。

 

太宰府天満宮・太鼓橋から見た「古都の光」

千灯明に灯された太鼓橋

 

心字池に設置された舞台

 

 

お問い合わせ・ガイドの依頼はコチラから
fukuda0917@yahoo.ne.jp

塾長より

いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。

これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。