こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

俳優菅原文太と太宰府天満宮の関係について。

俳優 菅原文太

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経歴

1933年宮城県仙台市に生まれる。

菅原文太のマネージャーをしていた文子さんと結婚。

映画「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」シリーズが大ヒット。

2001.10 当時31才で俳優として活躍していた長男・加織を踏切事故で亡くす。

2007年 膀胱がんを発症。

2014.11.28 肝不全で死亡 享年81才

晩年は妻と山梨で有機野菜の栽培をしながら暮らしていました。

 

菅原文太 に対する画像結果

 

妻文子さんのプロフィール

 

俳優長男・加織の死

2001.10 当時31才で俳優として活躍していた長男・加織を踏切事故で亡くす。悲しみは深く自宅にこもりがちになる。

加織は生前、神道を信仰しており、菅原文太は彼の遺骨を神道の聖地に納骨することにし、それが福岡県の太宰府天満宮でした。同じ「菅原」姓の菅原道真公を祭神として祀り天満宮の総本社であるこの地に息子を眠らせることにしました。

「ほんとに頻繁な時には年に数回(足を運んでいた)。文太のおじさんはとにかく飛行機が嫌いなんです。ですから山梨から行きは新幹線で行くんですけど、晩年はがんの闘病中で『5~6時間(も乗るのは)きつい』と。必ず京都で一泊お泊りになって奥様とおいしい食事を食べ、(太宰府に)行かれ、また帰りに京都で一泊して戻ってこられてました」(親交の深かった俳優)

菅原文太は大宰府天満宮近くにマンションを購入し、仕事がないときはここで暮らし始める。

「息子さんの眠る太宰府天満宮の納骨堂祖霊殿にも、夫婦でよく参拝されていました」(太宰府天満宮参道の店主)

本殿から500mほど離れた祖霊殿は人気も少なく、ひっそりと佇んでいます。静寂の中、祖霊殿の納骨堂に時々菅原文太と妻の姿がありました。

「白木の祭壇の前で、息子さんの遺骨に長い間じっと手を合わせていました…」(太宰府天満宮職員)

「加織さんが亡くなってからは、天満宮の神徒会に入会されていました。奥さんもまた、元々はクリスチャンだったんですが、息子さんの死をきっかけに神道に転宗されています。ご夫婦にとって、ここは息子さんとの“約束の地”となっていたのでしょう」。(太宰府天満宮職員)

菅原文太の死

菅原文太が亡くなると彼の葬儀も彼の生前の意志で同じく天満宮の祖霊殿で営まれました。

太宰府天満宮 祖霊殿

 

 

 

 

 

 

 

今まで菅原文太のお墓は太宰府天満宮にあるのかなというくらいの知識でした。

このブログを書いていて菅原文太の長男加織に対するひたむきな深い愛情に胸が締め付けられ目頭が熱くなりました。

 




塾長より

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