こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
中村哲医師がアフガニスタンの灌漑事業の参考にしたのは筑後川の山田堰。4回シリーズの3回目です。
筑後川の山田堰
迫力の水しぶきと水の音をお聞きください
朝倉の農業施設
朝倉の農業施設は、筑後川から取水する山田堰、その水を農地に送る堀川用水、そして3群7基の水車で構成されています。
【地域の農業を発展させるだけでなく、当時盛んだった舟運を妨げず、鯉や鮎などの魚が移動できるよう生態系にも配慮し、地域の力で修復できる持続可能な技術として、世界に誇れる価値を有しています。近年、山田堰の技術を学ぶため世界各国(毎年東南アジア中心にフィリピン、タイ、マレーシアなど約10か国)の人々が年に数回訪れています】
山田堰は度重なる洪水によって崩壊や流出被害に遭うも、その度に修復され、現在に引き継がれています。
農業施設の全体図
山田堰、堀川用水、水車群の位置関係
(参考)
山田堰の上流に長野堰、大石堰があります。
山田堰は筑後川の北側の朝倉地方を灌漑し、長野堰と大石堰は南側の浮羽地方を灌漑します。
大石・長野堰と山田堰ふきんの地図
山田堰と堀川用水の歴史
1663年 堀川用水開削
1789年 三連水車完成
1790年 古賀百工により山田堰完成
2014年 「世界かんがい施設遺産」登録
【山田堰】
山田堰は「傾斜堰床式石張堰」とよばれ、川の流れに対し斜めに造られている国内唯一の施設で、筑後川の水圧と激流に耐える精巧かつ堅牢な構造をしています。
2014年「世界かんがい施設遺産」登録
【堀川用水】
山田堰から取り込んだ筑後川の水を田に送るために造られた農業用水路。全長88km。
2006年「疎水百選」に認定。
【水車】
水車は川面より高所の耕地に送水する灌漑装置。
朝倉市には菱野の「三連水車」、三島の「二連水車」、九重の「二連水車」の3群7基の水車が稼働しています。水車は5年毎に造り替えられます。
その数は日本最多であり、最近は福岡県を代表する観光資源にもなっています。
水車群は1990年に「堀川用水及び朝倉の揚水車」として国の史跡に指定。
山田堰概略図
山田堰には四つの水路が設けられており手前から南舟通し、中舟通し、砂利吐き、堀川用水取水口。
南舟通し、中舟通し、砂利吐きからの流れを1カ所に合流させることにより水勢を減少させます。
川が運んでくる土砂は切貫(きりぬき)水門(堀川用水取水口)に流れ込む前に砂利吐きから排出されます。
山田堰
手前から砂利吐き、中舟通し、南舟通し
中村哲医師の功績を称える記念碑
令和3年3月建立
「照一隅」中村哲
「濁流に 沃野夢見る 河童かな」中村哲
中村哲
中村哲〈いのち〉のことば
「100の診療所より1本の用水路」
アフガニスタン
アフガニスタンを流れるクナール川も筑後川も急流河川で水位差が極端な暴れ川という類似点。
中村哲はアフガニスタンから何回も技術者を見学に連れてきています。
2010年中村哲は山田堰をモデルとした取水堰をアフガニスタンに築造。
全長25.5km、60万人の農民が恩恵を受けている。
左:2003年 用水路掘削作業開始
右:2011年 用水路造り
マルワリード取水口
左:2010年 砂漠貯水池
右:2014年 緑化した貯水池
4回シリーズの1回目はこちら
4回シリーズの2回目はこちら
4回シリーズの最終会4回目はこちら
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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壮大な歴史紀行が素晴らしい。
福岡藩士の木村長兵衛、魚住五郎右衛門に、そして約60年後に同藩士の川崎伝次郎、麻生四郎右衛門によって補修(堆積)工事がおこなわれ、この知恵の伝承が350年後に中村先生により、あのアフガニスタンに築造されたことは驚愕です。まさか福岡藩士の俊才もアフガニスタンに伝わるとは。
写真の一枚一枚が歴史を感じさせ、動画の山田堰を大画面で見ますと、まさに暴れ川、水しぶきと音の迫力は圧巻です。
これだけの長い歴史を纏めていただき、また素晴らしい映像を作成された塾長に感謝。
風の旅人さんコメントありがとうございます。
福岡藩のご家老の末裔ではないかと思えるほどお詳しいですね。また写真や動画をお誉めいただきありがとうございます。
これからもご期待に添えるように努めますのでよろしくお願いします。
山田堰解りやすく纏めてあり、編集構成大変だったと思う。
やはりこれは一度現地を訪問して実感したい。88kmとは手作業での先人の苦労が偲ばれる。中村医師、現地の壁画の顔がタリバンによって塗りつぶされたとか、もう涙も出ない。
若宮征之助さんお誉めいただきありがとうございます。
哲さんもアフガニスタンから技術者を何回も連れて来たそうです。やはり現地で実物を見せるのが一番わかりやすいと思いますね。
福田さんは、スゴすぎる。私のような者はなかなかついていけません。おてやわらかにねがいます。
久次さんお誉めに預かりありがとうございます。
これからもご期待に添えるように努めますのでよろしくお願いします。
山田堰まとめ流石です❗️
ミッチーさんお誉めいただきありがとうございます。
お疲れ様です。緊急事態延長には参りますね。山田堰の水流が凄いですね。三連水車が江戸時代中期にできていたなんて歴史を感じますね。昔の先人達は、何もないところから、今みたいに重機もなく人力だけで為し遂げるなんて、現代人には及ばない知恵がいっぱいあったんでしょうね。敬服。有り難うございました。
マンデーかやさんコメントありがとうございます。江戸時代の建造物が現役で稼働しているとは驚異ですね。アフガニスタンで役に立つとは嬉しい限りですね。
中村医師の背景と業績を 時空間を越えての説明 灌漑治水などは 私程度では
ほとんどわかりませんが 教えてくださっただけでも 有り難く嬉しいです
今年3月建立の記念碑があるのですね
筑後川の水流を聴きながら 石碑の前に立ち 句をなされた医師を偲びたいと思っています
Mikikoさんコメントありがとうございます。アフガニスタンから技術者を連れて来たのは「百聞は一見に如かず」と判断したからでしょうね。
私も説明聞いてもなかなか理解できませんでしたけど現地に行き見てやっとわかりました。
先人の知恵は素晴らしいですね👍
中村哲氏の肖像画がタリバンによって塗り潰されてました。命をかけた中村氏の功績に対する仕打ちに胸が痛みました。
けい子さんコメントありがとうございます。
タリバンの仕打ちに胸が痛みますね。
朝倉の三連水車は、何回となく見に行ってます。昔の人の頑張りには、いつも感心するだけで、自分は何をしただろうと思い知らされます。
Tadahiroさんコメントありがとうございます。
江戸時代鍬とスコップで築き上げた堰、正に今のアフガニスタンに状況似ていたのでしょうね。
大変な人を亡くしましたね、世界的にも大損失の人物で非常に残念でした。
朝倉の三連水車は孫が来ると買い物かねて見に行き、説明しついでに中村先生の事も話してやりました、いまその事をお陰様で思いお越ししました。
Setuoさんコメントありがとうございます。お孫さんにお話しされ哲さんの功績は後世に伝えていきたいですよね。
100の診療所より1本の用水路ですか?本当にそうですね!
観光がてらぶらりと立ち寄っていたのが申し訳ないです。
昭和の乙女さんコメントありがとうございます。今アフガンの状況を知ると哲さんがどういう環境で貢献していたかがわかり一層偉大さがわかります。
「もはや治療どころではない」
アフガニスタンへの関わりが決定づけられた言葉だと思います。
一隅を照らす。中村さんの人となりがこの言葉で表されているような気がします。
花と竜読みたくなりました。
コメントに沢山の方がノーベル平和賞をと書かれてありますね。こんな方にあげないで誰にあげるのでしょう。
でも哲さんは、そんなことどうでもいいよっておっしゃる様な気がします。
人の一生考えさせられます。男の中の男日本人でありがとう。
インスタ映えさんコメントありがとうございます。
「花と龍」今まで読んだ中で3本の指にはいるくらいの面白さでした。中村哲氏の行動の原点がこの本にあるように感じました。
それともう一つ。
山田堰凄いですね。昔の人の知恵には感動します。
自然を壊さず生き物と共生しながら、産業廃棄物も出さず、持続可能な恩恵を受ける仕組みの知恵に感動します。
それに目をつけた哲さんは尚凄い。
地球を汚染するだけしつくした今の私達は考える時ですね。
インスタ映えさんコメントありがとうございます。中村哲氏は全国の堰を調査し最終的に決めたのが山田堰だと思われ、百聞は一見にしかずで現地にアフガニスタンから技術者を何回か調査・見物に連れてきています。
中村哲医師の功績が
詳しく知る事が出来ました。そして作家火野葦平さんが叔父さんで作品の花と龍のモデルが祖父の玉井金五郎さんだった事も知らなかったです!
60年前の映画花と龍、石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画が実録だった事も、勉強になり有り難うございました🙇
けいちゃんコメントありがとうございます。
わたしも火野葦平、玉井金五郎、石原裕次郎の映画はそれぞれは知っていましたけどそれが繋がっていたことには驚きでした。
長文の中村哲氏のお話しすばらしいです。
久しぶりに、「花と竜」を読んだ昔のことを思い出しました。
奈良人さんコメントありがとうございます。
「花と龍」三本の指に入り映画より100倍の面白さでした。
人間の智慧は凄いですね、平和の為に使えばこれだけ人類史に残る偉大な物を残せる事ができるのに、それとな反対にプーチンの歴史には何も残らない、破壊した瓦礫の山⛰⛰⛰ が残る
宮川則明さんコメントありがとうございます。おっしゃる通りでプ−チンは瓦礫と死体だけを残し、後の世には汚名を残しますね。習近平もそうならないことを願います。
迫力ある動画ですね。改めて先人の知恵に驚きます。故中村医師の思いをあらわしているようですね。
こうきさんコメントありがとうございます。三大急流といわれる筑後川に機械がなかった時代に人の手で堰を造る知恵には驚くばかりですね。
中村哲氏は県民栄誉賞どころか、国民栄誉賞あげてもいいくらいの多大な功績を残されていますね。アフガニスタンと日本のみならず、国際的にも有名で、誰もが知ってる医師でした。亡くなられてもう数年近くになりますね。
栗ちゃんコメントありがとうございます。コメント欄にはノ−ベル賞をという声もたくさん入っています。夏になると中村哲氏を思い出し遺徳を偲んでいます。
物語がわかると興味が湧いてきますね✨
わかりやすい解説のお陰です💓
sun sunさんお誉めいただきありがとうございます。花と龍を読み興味が湧いてきたので若松まで行ってきました。
山田堰は一度見たいと思っています☺昔にこんなことを考えたなんて凄いですね👍
たけしさんコメントありがとうございます。
百聞は一見に如かず、現地に行くのが一番ですね。三連水車のすぐ先です。
山田堰の上流にある大石、長野堰に関わった、5人の庄屋の話を思い出しました。
今は、当たり前なのですが、5人の庄屋がいなかったら、すぐ近くに筑後川が流れていても、田に水を引くことが出来ず、アフガンのようになっていたでしょうね。
れい子さんコメントありがとうございます。
山田堰がなかったなら目の下を豊富な水が流れているのにアフガンのように水飢饉になっていたでしょうね。
山田堰、迫力ありますね。堰に日と女が入ってますね。何か意味があるんでしょうね。三連水車、1789年完成、次の年にやまだ堰が完成、以前も書きましたが重機もない、人力だけでの作業は、大変な苦労だったでしょうね。いのちの言葉、100の診療所より1本の用水路、正にその通りで目の前のことより国民全てを救う為に頑張ってきたのに志半ばで凶弾に倒れさぞ無念だったでしょうね。現在そのアフガニスタンがイスラム組織タリバンに支配され国民が難儀していることは、心が痛みますね。村田英雄の(花と竜)最高ですね。カラオケで歌ってました。いつも有り難うございます。
チュウ心気圧さんコメントありがとうございます。
村田英雄の「花と竜」はひょんなキッカケで見つけました。
ゴンゾとはなんですかとの質問があり調べていたら見つかりました。
この歌が玉井金五郎にまた哲さんに繋がっていたとは当時は思いもしなかったですね。カラオケで夜な夜な中洲で歌っておられたようですね。堰の由来調べてみたけどわかりませんでした。
中村哲さんについては私も関心を持っていました。
本も2冊読みました。
[一隅を照らす]という言葉が何度も出てきました。
信念を貫き通す原動力になったのは何だったのでしょうか。
何かで読んだのですが、哲さんが中学生の時に牧師さんと交流があって影響を受けたとありました。
これが啠さんの原点だったのかと思いました。
里の秋さんコメントありがとうございます。
哲氏がアフガニスタンになぜ生命を掛けたのか?
小説「花と龍」著火野葦平(哲氏の叔父)を読み、哲氏のルーツの若松に行き高塔山から若松市街、若戸大橋、洞海湾を眺めると臨場感がありよく理解できました。
哲氏には洞海湾で働く沖仲仕を生命を掛けて守った川筋気質の玉井金五郎(哲氏の祖父)の血が流れていたのではないかと思います。
玉井金五郎が沖仲仕に生命を掛けたように、哲氏はアフガニスタンに生命を掛けたのではないかと思いました。
近いうちにまた若松に火野葦平資料館、火野葦平旧宅(河泊洞)を見に行き、火野葦平が53才で自殺した原因の一端でもわかればいいなと思っています。
中村哲医師はノーベル賞をあげてほしいものです。どう考えても、医師でありながら農地、用水路など多岐に渡っての命懸けの献身的な努力、記事を目にするたびに涙し、悔しくて仕方ありません。
キャンディさんコメントありがとうございます。多くの方のコメントに「哲さんにノーベル賞あげてほしい」。しかしこれも誰かのコメントにありました「哲さんは、そんなことどうでもいいよっておっしゃる様な気がします」。
ノーベル賞を超えたところで活躍されたようですね。