こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
ペシャワール会の中村哲医師がアフガニスタンで灌漑用水の建設になぜ命を懸けたのかの原点を探しに
①北九州若松に行き、
②祖父の玉井金五郎を主人公にした伯父火野葦平の小説「花と龍」を読み、
③その小説を映画化した「花と龍」高倉健と渡哲也それぞれ主演のビデオを二本見ました。
ペシャワール会 中村哲医師のルーツ。北九州若松編。4回シリーズの2回目
中村哲は福岡市で生まれ、2年後父母の故郷である若松へ。伯父は芥川賞作家火野葦平(本名 玉井勝頼)。祖父は「花と龍」(著火野葦平)のモデルとして知られ、若松で石炭荷役業を営んだ玉井金五郎。(火野葦平の父)
ようこそ若松へ
JR筑豊本線 若松駅
高塔山の火野葦平文学碑への道中
イメージは45度のすごい坂道
第二期玉井組事務所跡
作家火野葦平
1906~1960年、享年53才(火野葦平旧居河伯洞2階の書斎で自ら命を絶ちました)。
芥川賞受賞の「糞尿譚」や兵隊三部作「麦と兵隊」、「土と兵隊」、「花と兵隊」や「花と龍」、「革命前後」などで知られる日本を代表する作家。
小説「花と龍」著火野葦平
作家火野葦平(本名玉井勝則で登場)の両親の物語りで登場人物はすべて実名。題名の「花」は主人公玉井金五郎の妻マン、「龍」は玉井金五郎。
玉井金五郎
中村哲
おじいちゃんの玉井金五郎にそっくりですね。
「花と龍」の内容は
遠賀川沿いの筑豊地方で産出される日本一の石炭の積出港として若松港を舞台に、飢餓に瀕して喘いでいる石炭荷役の沖仲士の待遇改善を求め、喧嘩嫌いで柔和で温厚な玉井組の親分玉井金五郎は弱い立場の労働者側の代表として資本家側の沖仲士の親分に拳銃を突きつけ決死の覚悟で待遇改善を勝ち取る物語。
沖仲仕(おきなかし)とは、 船から陸への荷揚げ荷下ろしや陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称。
川筋気質とは,遠賀川流域および石炭積出港として栄えた北九州市若松区炭鉱と川船による石炭輸送に働く人々を さし、金づかいと気は荒いが、男気がある。
「花と竜」歌 村田英雄
作詞・作曲 村田英雄
4回シリーズの1回目はこちら
火野葦平文学碑
葦平文学の舞台となった若松の市街地や洞海湾を見下ろす高塔山の中腹に建立。
碑文には自作の四行詩「泥に汚れし背嚢に、挿す一輪の菊の香や、異国の道を行く兵の、眼にしむ空の青の色」が刻まれている。
眼下に若松市街、若戸大橋、洞海湾
パノラ写真
若戸大橋
エピソード
①玉井金五郎の長男は火野葦平、次女は秀子。
2人共駆け落ちで結婚しています。哲さんは秀子さんの息子。
哲さんは激しい愛の結晶です。
②哲さんが用水路建設のために土木を独学し、娘の秋子さんの教科書で数学を学び直したというエピソードに話が及ぶと「教科書は返ってこないままなんです」。先生らしい、とペシャワール会のスタッフも笑顔を見せた。
哲さんの長女、秋子さん。
福岡市の「ペシャワール会」で週末。
現地若松に行き高塔山から若松市街、若戸大橋、洞海湾を眺め、小説を読むと臨場感がありとてもよく理解できました。
今まで読んだ小説の中でも三本の指に入るほどのおもしろさでした。
中村哲には伯父の火野葦平や川筋気質の祖父玉井金五郎の血が流れていたのではないかと思います。
玉井金五郎が決死の覚悟で「沖仲仕を守る」が中村哲の死を覚悟して「アフガンの住民を守る」に繋がっていったんではないかと思います。
4回シリーズの3回目はこちら
なお、福岡藩初代藩主黒田長政の筑前六端城の一つ若松城は今の若戸大橋の真下の洞海湾の中の島にあったそうで、沿岸の八幡製鉄所への船による物資の輸送の妨げになるので取り払ったそうです。
洞海湾の畔にでも移設して是非名残を留めて欲しいものです。今からでも遅くはない。
筑前六端城とは福岡藩を守る若松城、黒崎城、大隈城(益富城) 、鷹取城、小石原城(松尾城)、麻氐良城の六城をいう。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
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これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
中村医師が取り組みに努力されたことが理解できました。
暑い日の旅お疲れさまでした。
ありがとうございました!
からつくんちさんコメントありがとうございます。現地若松に行ってたので「花と龍」とてもおもしろく読みました。
中村医師のルーツを探しにわざわざ若松まで行かれるとは、凄いですね。「花と龍」は、青春時代に裕次郎主演の映画をみましたがその時はまだ中村医師の存在さえ知るよしもありませんよね。アフガンでの活躍で玉井金五郎の孫と分かった訳ですがさすが血筋ですね。惜しい人を失くし残念ですね。ありがとうございました。
マンデーかやさんコメントありがとうございます。
裕次郎の玉井金五郎カッコよかったでしょうね!
中村医師も多分死覚悟での灌漑事業だったのではないでしょうか。
しかし残念ですね!
「花と龍」と中村 哲さんのヒストリー、塾長の熱い思いが伝わります。
多分、中村 哲さんも見たことでしょう。(身近な人ですから)
映画「花と龍」
1954年 藤田 進 1962年 石原 裕次郎 1965年 中村 錦之助
1969年 高倉 健 1973年 渡 哲也
当代随一の映画スターが体を張って。偶然にも中村さん、哲さんの名も。
写真の坂道や洞海湾、若戸大橋のいい眺め、旅した気分です。
猛暑の中、お疲れさまでした。
風の旅人さんコメントありがとうございます。
5本も映画化されていたのですね。中村哲氏の青春時代のことで多分全部見て主人公金五郎の生き方が心に焼き付いたことではないでしようか。沖仲仕を守るがアフガンの住民を守るに繋がっていったんではないでしょうか。
灌漑事業に命をかける原点、遂に謎が解けたようですね。執念を感じます。
えだまめさんコメントありがとうございます。歴史は謎解きみたいなもので謎を設定し自分なりに解けたときの快感は何ものにも替えがたいですね。
以前高倉健の映画を見たことが有ります❗格好いい任侠物と思ってました。
けい子さんコメントありがとうございます。任侠ものといえば言えるかもしれませんね。
玉井金五郎の映画は3本観ました。高倉健より渡哲也の方が面白かったです。昔の俳優の方が演技が上手いし迫力あります。
栗ちゃんコメントありがとうございます。今日早速おすすめの渡哲也のビデオ借りてきました。オリンピック差しおいて今から見ます。
育った環境が人を作るんですね!
昭和の乙女さんコメントありがとうございます。
育った環境は大きいですね。
動物も親がする通りにするように人も同じですよね。
この猛暑の中、探究心旺盛な塾長は若松まで行かれたのですか!😄
たしかにその人物知れば何故⁇
の疑問が次から次へと出て来て知りたくなりますものね、小説に映画に現地にあしを運んでこの目でみてその土地に立ち肌で感じて、日本人の中村哲さんが何故そこまでしてペシャワールの人々を助けようとされたかが、私達にもボンヤリとしたものがだいぶハッキリと見えて来ました。
血は争えないと言いますが、困った人々を黙ってみていられない素晴らしい人間力溢れる方だったのですよね。
本当に残念です。
勉強になりました!
塾長も熱中症に気をつけてお出掛け下さいませ!😄
ンダモシタ−ンさんコメントありがとうございます。
風の旅人さんのコメントで玉井金五郎が5本も映画化されているとのことで渡哲也のビデオ借りてきて見ました。
中村哲氏は青春時代5本全部見てるでしょうからカッコいい生き方が心に焼き付いてたのではないでしょうか。
伯父さんやお祖父さんが有名な方であるということその血筋の中村医師がアフガニスタンで尽力されたこと
勉強になりました。
Misaoさんコメントありがとうございます。勉強になったならよかったです。
中村哲シリーズ4回まで読ませてもらいま した。
また改めて中村哲さんの功績を胸に刻みたいと思います。
塾長のブログ凄いですね。多岐わたって取材してよくまとめていらっしゃいますね。
里の秋さんコメントありがとうございます。なぜだろうなぜだろうと思って調べているうちにだんだん広がっていくようです。
先週田川市に行って石炭歴史博物館にも行きました。館内に花と龍の映画ポスターが展示されてました。
なんと中村哲さんのお爺さまモデルの実話とは知りませんでした。
写真見比べると確かに似てらっしゃいますね。
生き方も似てらっしゃいますね。
現地に行かれてビデオを見られて調べられて、よくまとめられてますね。
パーシモンさんコメントありがとうございます。現地に行ったりいろんな情報を集めればそれだけみなさんに内容の濃いブログがお伝え出来ると思っています。
主人は哲さんの大ファンでした
帰国された時西南大学でアフガンでの活動報告会(?)のような講演をよく聞きに行ってました。そして
ノーベル平和賞を貰うべき人だと、いつも言ってました。
私も一度位は聞きに行っとけば良かったと思います。凄い方ですね
インスタ映えさんコメントありがとうございます。ご主人も報告会に行っておられたんですね。すごい方ですよね。そこにブログを書いてみようという気持ちが湧きたち本も5~6冊、ビデオも2巻、若松や山田堰、三連水車、上流の大石堰、長野堰、田主丸の役場など訪ねとても楽しい取材旅行でした。
塾長の凄さを再認識しました。中村哲医師のルーツに至ってはなるほど、なるほどと感心しています。
偉い方を亡くしたことがただ、ただ残念です。
梅林がるさんコメントありがとうございます。
中村哲氏がなぜアフガニスタンに命をかけたのかが疑問だったのでル−ツを訪ねたわけです。本文に書いているように自分なりに納得しました。
えーっ、よく見つけましたね。祖父をモデルにした小説の主題歌ですか。
歌を聞くとかなりの豪傑肌の人をイメージします。
中村哲さんもそうだったみたいですね。
アフガニスタンから日本に帰って活動した時、批判されたりしたけどひるまなかったそうです。政府にも強く働きかけたそうです。
小柄な人だけど 気骨があるからあれだけの活動ができたんですね。
里の秋さんコメントありがとうございます。哲さん日本に帰って活動した時、批判されたけどひるまなかったんですね。タリバンにひるまないくらいだからから気骨は生半可なものではないのでしょうね。
火野葦平の自伝小説「青春の岐路」に出てきます。
葦平が沖仲士の労働組合を立ち上げようと、官憲の目 をかいくぐって同志と運動していたが、同じマルクス思想を持った男 に敬意を持つ反面人間性には反感を持っていた。いつの間にか、その男と妹(秀子)が恋仲になっていた。葦平は反対したが、妊娠していることに気がついた。
小説は妹のことはそこまでで終わっています。
お腹にいたのが中村哲さんだったのでしょうね。
里の秋さんのコメントを参考に本文のエピソードに追加しました。ありがとうございました。