こんにちは!太宰府みりょく発見塾塾長の福田です。

今回は戦国時代に太宰府を治めていた高橋紹運の史跡を

案内します。

高橋紹運とは

高橋 紹運は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将です。

豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたります。

 

紹運は法名で、初めは吉弘 鎮理、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、

高橋 鎮種と称しました。

 

岩屋城とは

 

岩屋城は築城年代は定かではないが天文年間(1532年~1555年)に高橋鑑種によって築かれたと云われています。

天正14年(1586年)薩摩の島津氏が北上してくると、

岩屋城には高橋紹運、宝満城築城には紹運の次男で筑紫広門の娘婿である高橋統増が

筑紫氏の家臣とともに籠城しました。

岩屋城では壮絶な戦いの末に、高橋紹運以下籠城兵数百がことごとく討死しました。

その後、秀吉の援軍が九州に来襲した報を受けた島津氏は城を秋月氏に預けられましたが、

立花山城の立花統虎によって奪いかえされ、天正15年(1587年)破却されました。

岩屋城,太宰府,

岩屋城跡から見下ろす太宰府市内

高橋紹運の首塚

高橋 紹運,首塚,

高橋紹運の胴塚

高橋 紹運,太宰府,

般若寺跡地

岩屋城戦いの時の薩摩軍の本陣。

 

高橋紹運の菩提寺「西正寺」

高橋 紹運,菩提寺,

1586年(天正14年)7月27日、高橋紹運以下約700名が島津軍と戦い、全員討死。

高橋紹運の老臣藤内左右衛門丞重勝は、太宰府栴口(現西正寺の場所)に草庵を構え、

岩屋城戦没者の菩提を弔いました。

藤内左右衛門丞重勝は、出家して正順と号し、西正寺開基となりました。

現西正寺住職は、19代山内真隆(釋真隆)である。山内の姓は、藤内を変姓したものと思われます。

 




塾長より

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