こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
福岡東区の立花山
左から立花山、松尾岳、白岳
立花口登山道駐車場
駐車場は広くゆったりしています。
麓から山頂まで1240m
橘(たちばな)
登山届に記入していざ出発!
屏風岩
立花城古井戸
立花城は1330年大友家6代目貞載が築城。
当時博多は有数の貿易港で海外との交易の利権を求め、約250年間、立花城を巡って熾烈な争奪戦が展開され、1588年小早川隆景が名島城を築き廃城となるまで貴重な飲料水として使用されていた」
立花山山頂367m
立花城跡
立花城は1330年豊後大友家6代目貞載が築城。
その後豊後より大友氏の一族戸次鑑連(道雪)が入城し、後にその養子統虎(宗茂)は立花の名字を引き継ぐ。
1587年に豊臣秀吉が九州を平定すると、立花宗茂は筑後柳川の領主として転出。新たに筑前国の大名となった小早川隆景の下でも立花城は名島城の支城として利用され、1600年黒田長政が筑前に入国した後廃城となる。
志賀島
遠くに可也山
福岡タワー
大クスへ
クスノキ原生林
樟の原始林
国の特別天然記念物
立花山の6合目以上には樹齢300年を越え、樹高30m余の原始林約600本が自生していて本邦唯一と称され樟林の北限地帯といわれている。
立花山大クス
幹周り785m、樹高30m、樹齢推定300歳以上
立花山 梅岳寺
所在地:福岡県糟屋郡新宮町立花(立花山の麓 立花口の近く)
立花道雪、その母、家臣の薦野三河守増時の菩提寺
宗派:曹洞宗、福岡県指定史跡
1385年創建
1575年道雪の母を埋葬
1585年筑後の陣中で病没した道雪を埋葬
家臣の薦野三河守増時も埋葬している
立花宗茂の菩提寺は柳川の福厳寺
扁額「梅岳禅寺」
本堂
立花城主 道雪公墳墓
薬王寺霊泉の伝説
昔、この地に鬼王、京王という名の2人の子どもを連れた侍がたどり着きました。実はこの侍、清和天皇の子孫で、悪人のはかりごとにより都を追われてきたのです。侍は里人の優しさに感銘を受け、この地に住みつくことになりました。
あるとき、侍は急な病により床に伏してしまいました。すると、日頃から信仰している薬師如来が夢に現れ、「この山里の谷川に薬水を流す。これを浴びるもよし、飲むもよし。必ず病は癒えるだろう」とのお告げが。早速お告げのとおりにしてみると、みるみるうちに病が癒え、すっかり元気になったのです。
その後、侍は出家し、各地を修行して巡りました。そして、再びこの地に戻り小さなお寺を建て、薬の里にちなんで「薬王寺」と名づけたそうです。
粕屋要録より
薬王寺温泉
山々に囲まれた自然豊かな夏はホタル飛び交う温泉地で「美肌の湯」で有名な温泉だそうです。
泉質はアルカリ性でヌルっとした感触で肌さわり良く、プロ野球選手も湯治のため、この温泉に浸かりに来るそうです。
鬼王荘
帰りに寄った鬼王荘、女将は感じよくいっぺんにファンになりました。
料金プラン
今回とは反対側の下原登山口から登る↓
立花山城と関係ある岩屋城はコチラ↓
道中はほとんどが階段で小一時間ほどで登れ、下りは40分ほどでした。
老若男女、犬を抱っこした人や妊婦さん、手ぶらの人など多くの人とすれちがい手軽な山でした。
念願の立花道雪の菩提寺 梅岳寺にも行くことができ、また帰りには薬王寺温泉にも浸かりとても有意義な一日でした。
塾長より
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私が立花山麓の高校のラグビー部に所属していた時、キャプテンの指示で立花山頂上までマラソンで登らされました。当時は地獄、今では懐かしい思い出です。
ひ−さんコメントありがとうございます。
山頂までマラソンですか。まさに地獄ですね。恐れいりました。