こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日太宰府四王寺山の三十三石仏巡りのイベントに参加してきました。

太宰府四王寺山の三十三石仏巡り

 

大勢の参加者

太宰府四王寺山の三十三石仏の由来

江戸時代末期の1798年、福岡の城下町で大火事があり民家1000軒が消失、その翌年には天然痘が大流行したり、豪雨で山笠行事が3日間も順延されるなどの異変が続きました。

そこで博多の町の主だった人々が発起して太宰府の華台坊良寛に相談し、四王寺一円に石仏巡りの札所をつくり、観音様のご利益におすがりして、この世の不幸から逃れようとしました。

霊場には磨崖仏のほか、六観音など三十三体の石仏が配置されています。

六観音とは

( )内は三十三石仏の観音様の数

聖観音(3体)、十一面観音(6体)、如意輪観音(5体)、馬頭観音(2体)、准胝(じゅんてい)観音(0)・千手観音(16体)の六つ。

合計(32体)+三宝荒神(1体)=33体

33体のうち16体が千手観音で半数近くを占めています。

 

配置図

 

行程

 

30番 千手観音

 

27番 如意輪観音

 

道順

 

山頂 大城山410m

 

百間石垣

 

23番 千手観音

 

20番 三宝荒神

 

19番 千手観音

 

大原山

 

13番如意輪観音

 

12番 千手観音

 

遠見所からの眺め

立花山

 

若杉山

 

11番 聖観音

 

9番馬頭観音

 

7番 如意輪観音

 

焼米ケ原

 

5番 千手観音

 

四王寺山を舞台の歴史は数多くあるようです。主なものとして。

①663年 白村江の戦いを機に四王寺山に大野城を築く

 

②774年 四王寺山の名前の由来と四王寺創建(四天王安置)

 

③1586年 四王寺山を舞台の岩屋城の戦い

 

④1799年 今回のブログ、四王寺山に三十三石仏の配置

 

それぞれの歴史に思いを馳せながら山歩きをすると楽しみも増すかもしれません。

お問い合わせ・ガイドの依頼はコチラから
fukuda0917@yahoo.ne.jp

塾長より

いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。

これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。