こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は菅原道真公のお子さんたちのお墓を案内します。

大宰府に左遷された道真公は紅姫(7才)と隈麿(5才)という二人のお子さんを連れて来られました。

二つとも住宅街にあり近くまで来ていて近所の人に聞いても最近来ましたとのことなどでほとんどの方もご存じなくやっとのことで見つけました!

お姉さん紅姫のお墓

 

 

南体育館

 

 

京町北児童遊園にあります。

 

児童遊園の中にあります。

紅姫

今から千百有余年の昔、遠く都から太宰府の地へやってきた1人の少女がいた。母親を亡くしたばかりの幼い弟”隈麿”の手を引き、懸命に父”道真”の後を追う姉、名を”紅姫”という。なに一つ不自由のない都での暮らしから一転して、太宰府での生活は困窮を極めた。辛い日々の中で紅姫は何を見、何を考えたのか。

姉たちは家に留め置かれ、兄たちは遠方へと追いやられた。幼い姉弟だけが常に一緒にいて、いつでも語りあうことができる。食事の時はいつも目の前にいて、夜は同じ部屋で寝る。暗くなれば灯りがあり、寒い時は暖かい着物がある。

 

時の左大臣、藤原時平の讒言によって貶められ、何もかも奪われた父道真にとって、明るさを忘れない子供達の姿が唯一の支えだった。しかし、弟の隈麿は翌年902年に病で命を落とし、さらにその翌年903年には、持病を抱えていた道真自らも後を追った。

 

父の庇護を失い、たった一人残された紅姫。彼女のその後を明確にする記録はない。一説によれば、父道真公から託された密書を携え、四国へと流された長兄高視卿の許へと出立したとされる。しかし、藤原氏に嫌疑の目を向けられ、追っ手から逃れるために若杉山の麓で隠遁することを余儀なくされた。探索の手は熾烈を極め、いつしか見つけ出された紅姫は、篠栗の地で刺客の凶刃に倒れたという。

 

亡くなられた日時も場所も定かでないようです。

弟さん隈麿公のお墓

 

 

 

 

 

 

道真公の息子さん隈麿公のお墓。奥都城(おくつき)とは神道でいう墓のことです。

紅姫の弟隈麿公は902年に病で命を落とし、さらにその翌年903年には、持病を抱えていた道真公自らも後を追った。

 

 

 

六弁の梅の花

二つの花の上の梅は五弁の梅の花で下の梅が六弁の梅の花です。

木全体が六弁ではなく五弁の中に何個か咲いていました。

(撮影 2019.1.18)

お墓の上に咲いていてちょうど見ごろでした。

 

 

二つのお墓ともやっとのことで見つけ出し六弁の梅の花も満開で充実した一日になりました。

 




塾長より

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