こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
榎社は太宰府天満宮から2~3Km離れ、西鉄二日市駅の北へ100mほどの線路沿いにあります。
榎社とは
菅原道真公が、901年(57才)に太宰府に左遷されてから、903年(59才)に逝去するまで謫居(たっきょ)された跡で、「館」は都からの赴任者の官舎で、このうち「南館」は道真公が謫居した館として知られています。大宰大弐藤原惟憲が1023年に道真公の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内に榎の大樹があったことから榎寺と呼ばれるようになり、現在は榎社と呼ばれています。
(参考)平氏滅亡後、鎌倉幕府の成立により、律令制下の「大宰府」はその機能を停止します。
ここに左遷された2年後の903年に逝去されその亡骸を牛車に乗せて引かせ立ち止まり動かなくなった所がここから2~3Km離れた今の太宰府天満宮でそこが道真公のお墓になっています。
道真公の略歴
845年~903年(59才)
877年 文章博士就任(今の東大総長と文科省大臣を兼ねるようなもの)
899年 忠臣として名高く宇多天皇に重用され醍醐天皇により右大臣に就任。
道真公は中流貴族で家格が低いことと、出世につれて中傷が増えたため辞退するも受理されず。
901年「宇多上皇を欺き惑わした」「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世(ときよ)親王を皇位に就けようと謀った」として、醍醐天皇により太宰府に左遷。
道真公の失脚は、単に時平の陰謀によるものだけではなく、道真に反感を持っていた多くの上流貴族の同意があったであろうともいわれている。
太宰府への移動はすべて自費によって賄い、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた。
903年 太宰府で死去
左遷の日
醍醐天皇により901年1月25日に道真公が大宰権帥に左遷された日を左遷の日としてます。
浄妙院→榎寺→榎社(名称の変遷)
評判のイケメンの狛犬
神幸式大祭
毎年9月太宰府天満宮の神幸祭(通称「どんかん祭り」)では、道真公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日太宰府天満宮本殿に遷御されます。
神輿を休ませる台座
よもぎ餅(うぐいす餅)
道真公の生まれは845.6.25、逝去は903.2.25(58才)。太宰府天満宮参道では毎月25日を天神様の日として梅が枝餅をよもぎ餅に替え焼いています。
境内の石碑
表
「白蓮の 清純ここに 極まりて きわまるものは かなしかりけり」手島一路
白蓮とは道真公をさしています。
裏
「ゆり短歌会」主宰 手島一路
道真公敬慕の情あつき主宰の歌一首を碑に彫る。
漢詩「九月十日」の詩碑
「去年の今夜 清涼に侍す、秋思の詩篇 独り断腸
恩賜の御衣 今此に在り、捧持して毎日 余香を拝す」
書:吉嗣鼓山(住居は現ホテルカルティア)
御神牛奉納の石碑
浄妙尼社
道真公のお世話をしていた浄妙尼を祀る社です。
苦境を見かねた浄妙尼は道真公に梅の枝に餅を挟んで格子越しに差し入れをしたと伝えられています。
この故事にならい太宰府天満宮参道の梅が枝餅がつくられるようになったといわれています。
神幸祭で神輿が太宰府天満宮から下って来たとき一夜安置される台座です。
紅姫の社(道真公の娘さん)
紅姫の小社は奥の浄妙尼社の隣にあります
外国人の参拝客に溢れお祭り騒ぎの明るい雰囲気の太宰府天満宮から一足離れたひっそりとしたこの榎社に佇んでみますと、無実の罪を着せられ悲嘆にくれた道真公の悲しみが胸に迫まります。
ここで過ごした2年間は大宰府政庁への出勤も禁じられ給料も無給で生活もままならなかったことだと思います。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
菅原道真はここで生活してたんですか。初めて知りました。辛い日々の上に子ども残して亡くなったとは辛かったことですね。
ペンギンさんコメントありがとうございました。無実の罪ですからその辛さはいかばかりだったことでしょうか。
徒然日記未だ読んでなかったところや読み直すとホウ!と再発見させられて少しづつですが楽しく拝読しています。
思えば、太宰府魅力発見塾は誕生していなかった頃ではありますが、私第❓期生かのメンバーとも言えますが集まって楽しく会食していた頃を懐かしく思い出します。
今年も色々な記事を楽しみにします!🌈
NAOKOさんコメントありがとうございました。
思い出しますね。
NAOKOさん間違いなく第一号です。
これからも精進して魅力を発信していきたいと思います。
太宰府長官なので、俸給はありと思っていましたが、無給だったとは!
命あっただけでも良かったということでしょうか?
寂しいながらも、榎社および近縁者の遺跡があるということは、菅公の偉大さですね。
hirosh yamaguchiさんコメントありがとうございました。
勤務も叶わず給料もなく生活も精神的に辛かったことでしょうね。
遺跡があるということはやはりそれだけ偉大だったことでしょうね!
明日、榎社へ参ります
詳しく書いてあり、勉強になりました。
ありがとうございます
ル−チェさんコメントありがとうございます。
お役に立てれば嬉しいてす。
よかったら紅姫、隈麿公のお墓は近くですので見てください。
菅原道真公に関係する方で
〜梅姫〜という方、ご存知でしたら
教えて下さいませm(_ _)m
娘の紅姫様のことでしょうか?
菅原道真公に関係する方で
〜梅姫〜という方、ご存知でしたら
教えて下さいませm(_ _)m
あけんさんご質問ありがとうございます!
梅姫初めて聞いた名前でしたのでネットで調べてもヒットしませんね。
少しお時間ください。調べてみます。
あけんさんへ。
郷土歴史家からの回答です。
梅姫?
聞いたことないですし、お会いしたこともないですね(笑)
似た名前としては、ご存じのとおり、道真の娘の「紅姫」。藍染川の物語に登場する「梅壺」。そして、苅萱関跡の話で登場する「千代鶴姫」のことを「松姫」と誤認して記述した紀行文。
近い名前はそれくらいでしょうか。
どこかに書いてあったのですかね?出典がわからないと、単語だけでは何とも突破口を見いだせないですね。
以上回答でお役に立てず申し訳ありません。
お早うございます。榎社は近本さん家の近くでは、ありませんか?榎寺は友達がいたのでときどきいってましたが他は知りませんでした。有難うございます。
かやさんコメントありがとうございます。大宰府には知らない所や知らない事がまだまだ沢山あるようで、これからもみなさんのお力を借りながら新しい発見をしていきたいと思ってます。よろしくお願いします。
我家には菅公末裔という言い伝えがありますので、ネットで色々調べていたらココへたどり着きました。末裔かどうかは定かでは有りませんが、家紋は梅鉢、懐かしい気持ちも有ります。
塾長様ありがとうございます。
ルー大阪さん大阪からでしょうかコメントありがとうございます。家紋については意識がありませんでした。調べてみたらやはり梅鉢ですね。
キッと道真公に関係があるかもしれませんね。この環境で太宰府天満宮にも足が遠のいています。
貴重な情報をお送り頂きありがとうございます。
いずれ、訪ねる時が楽しみです。
ルー大阪さんコメントありがとうございます。榎社は太宰府天満宮の賑わいから一転物静かな佇まいで道真公の気持ちが少しは理解できるところのような気がします。
はい受け賜わりました。
今から訪ねて行く時が楽しみです、
遠足を待つ子供の様な気分です。
長生きはするもんですね!
塾長殿も御身大切にして下さい。
ルー大阪さん折角行かれるのなら令和の里梅花の宴はどこだったのか?
次のブログに3つの候補地上げています。実は坂本八幡宮が可能性としては一番低いようです。3つとも近くですのでそれぞれを訪ねてください。https://dazaifumiryoku.com/private/19897/
貴重な情報をいただきありがとうございます。いずれ訪れる時が楽しみです。
重ね重ねありがとうございます。
大伴旅人何故か懐かしい様な印象
を感じます。
訪ねる時を思うと今から胸がワクワクします、この様な気分は久々です。
ルー大阪さん日程が合えばご案内しても構いませんよ。
その時は下欄のお問い合わせからメ−ルください。
中学高校と神幸式に参加させて頂きましたが、短い間に色んな歌が残っており、如何に素晴らしい人物であったかが偲ばれます。今一度、残っている歌を学びたいと思います。
レンドルさんコメントありがとうございます。
地元の方でしょうか、神幸式に参加しておられたのですね。ご存知のように天拝山の「天神さまの径」「開運の径」にそれぞれ9首の歌碑があり辛いおもいがひしひしと伝わってきます。添付のブログにその歌碑を掲載しています。
https://dazaifumiryoku.com/private/8687/