こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
毎年春になると太宰府市西正寺の境内にはたくさんの花々が咲きます。
岩屋山 西正寺
宗派:浄土真宗本願寺派
本尊 :阿弥陀如来
住所:福岡県太宰府市宰府1-1-25
本堂
1586年7月27日、高橋紹運以下約700名が島津軍と戦い、全員討死。高橋紹運の老臣藤内左右衛門丞重勝は、太宰府栴口(現西正寺の場所)に草庵を構え、岩屋城戦没者の菩提を弔いました。
藤内左右衛門丞重勝は、出家して正順と号し、西正寺開基となります。
現西正寺住職は19代山内真隆(釋真隆)です。山内の姓は、藤内を変姓したものと思われます。
岩屋山西正寺では毎年7月27日にご縁ある人々により戦争犠牲者追悼法要を勤修しています。
山門
石碑
「岩屋城主高橋紹運公並勇士菩提寺」
扁額
「岩屋山」
境内の花々
白ふじ
あやめ
椿
ぼたん
しゃくなげ
ユリ
間もなく開花
堂内の胡蝶蘭
私もこの西正寺の門徒となり早や16~17年になり法名もいただいています。
門徒になってみて今まで如何に宗教に関する知識のなさ、曖昧だったかを恥じながらお寺での研修に励んでいるところです。
またお寺で教わったことはこれから子どもたちに少しでも多く伝えていこうと思ってます。
今日は境内で春を謳歌している花々を見ることができ、コロナで沈みがちな気持ちが明るくなりありがとうございした。
お問い合わせ・ガイドの依頼はコチラから
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
昨日、偶然に自転車で西正寺の前を通りました。正門前で止まりました。高橋紹運公を祀る石碑を視たからです。お寺の作法事は分かりませんが太宰府市から筑紫野市に入って直ぐにある紹運公の首塚を移設できないのか?胴塚は岩屋城趾の直ぐ下にあります。やっぱり歴史を変えたらいかんのでしょうね。可哀想と思った私でした。
ひ−さん賛成です。例えば太宰府境内にある一人だけポツンとある菅公の奥方の楓社、また菅公と離れ離れのお子さん隈麿公と紅姫の墓、高橋紹運公の胴塚と離れ離れの首塚も再考の余地はありそうですね。ただ首塚は高橋紹運公の首実験したところですので思案のしどころかもしれませんね。
紹運公は犯罪人ではないです。薩摩から筑前を守って敗れました。おかげで鹿児島道になりませんでした。柳川の立花家、頑張れ!ですね。
ひ−さんコメントありがとうございます。戦で破れましたからやむを得ないですね。
だからこれだけ人気があるのかもしれませんね。
岩屋城戦没者の法要には何度か参加させていただきました。一族の者が岩屋上の戦いで戦死しているようなので、お参りしました。高橋紹運公は義の武将ですね。私の先祖も紹運公と共に大友家のために殉じました。先祖の生き様に学びたいと思います。
いかにせば 誠の道に かなはめと ひとへに思へ 寝ても覚めても
良寛禅師
福田洋一さんコメントありがとうございます。
紹運公の末裔の方のようですね。
紹運公の辞世の句「流れての 末の世遠く 埋もれぬ 名をや 岩屋の 苔の下水」正に義の武将ですね。
明日の紹運公の法要に出席してきます。
わたしの名前は福田洋三です。
なんだか親しみを覚えます。