こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡市の旧高宮貝島家住宅に行き、今回の宮若市の貝島百合野山荘のことを知り見学会に合わせて訪ねました。想像以上の広大な敷地と建物、炭鉱遺産としての重要性も強く感じました。ご覧ください。
筑豊御三家のひとつ炭鉱王の貝島家
筑豊では最大の出炭量を誇り日本でも有数の財閥であった。
①筑豊御三家の出炭量比較
(1918~1934、17年間)
貝島:2,873万t
安川:2,267 万t
麻生:1,367 万t
②筑豊御三家の屋敷の規模
敷地、 建坪(坪)
旧貝島百合野山荘(直方) 27,000 514
旧伊藤邸(飯塚) 2,800 308
旧蔵内邸(築上郡) 2,180 398
旧高取邸(唐津) 2,300 260
旧高宮貝島邸(福岡) 5,790 203
麻生家、安川家は非公開
筑豊五大炭坑王とは
筑豊御三家(麻生家、貝島家、安川家)+伊藤伝右衛門、堀三太郎
(堀三太郎邸は直方歳時館として生まれ変わっている)
伊藤伝右衛門と白蓮
【このブログが貝島百合野山荘公式HPで紹介されました】
貝島百合野山荘市民の会から太宰府魅力発見塾のこのブログを「貝島百合野山荘の公式HP」に掲載の依頼がありました。
このブログがこういう形で少しでもお役に立てるのであれば大変光栄でこの上ない喜びです。
以下の貝島百合野山荘の公式HPもご覧ください。
▶https://yurinosansou.sakura.ne.jp/index.html
上記の貝島百合野山荘の公式HPを見る人はクリックすると以下のトップページが開き、「ここをクリック」のBLOGをクリックするとこの「【貝島百合野山荘】筑豊御三家のひとつ炭鉱王、福岡県宮若市」のブログが見られます。
【貝島百合野山荘】
住所:福岡県宮若市龍徳30-1
完成:1915年(大正4年)
貝島家は、麻生家、安川家と並ぶ「筑豊御三家」として知られ、この貝島百合野山荘は貝島家三男六太郎(貝島炭鉱創業者長男貝島太助の弟)によって建てられ、あとを継いだ栄四郎(2代目社長、太助の次男)が旧邸を造り直し貝島百合野本家として1915年(大正4年)に完成。
現在の所有者は貝島化学工業株式会社の社長(福岡市天神。貝島家5代目)義朗氏(太助の玄孫(やしゃご、ひい孫の子))。
戦後、旅館及び炭鉱の福祉施設として「百合野山荘」と呼ばれていた。
広大な敷地は住宅と回遊式庭園がある台地部、果樹園や牛の放牧地が広がる谷部、神社・慰霊碑がある山部からなっている。
住宅全体像
貝島家の家計図
貝島太助(長男)、六太郎(三男)、嘉蔵(四男)三兄弟の邸宅位置と貝島炭鉱
次男(文兵衛)は早世
直方の貝島嘉蔵邸は福岡高宮へ移築
創業者の長男太助は直方市の中心部に3階建ての大豪邸を築く。(現在は消滅、現在の多賀神社あたりともいわれている)。
貝島炭鉱の歴史
1870年(明治3)太助炭鉱業に従事
1916年(大正5)太助死去
1976年(昭和51)炭鉱閉山(筑豊最後)
旧高宮貝島家住宅
入口から毛利門までは7~80m
毛利門
長府毛利家から譲り受ける
表玄関
①接客棟
西洋館
日本に三台といわれる自動演奏ピアノ
忠臣蔵でおなじみの江戸城松の廊下と同じ畳廊下(60畳)
本座敷
客間、15畳
一族会の会議・炭鉱従事者の表彰と宴会などに使われていた。
書院造りの間
10畳
柱等はめったにとれない四面正目の材料が使われ、座敷には多種多様な欄間が取り付けられている。
立ちつくばい
主庭:回遊式庭園
灯籠
茶室
貴人口
船底天井
②生活棟
六太郎夫妻の居室
10畳の座敷と8畳の次の間そして6畳の部屋の3室
栄四郎夫妻の居室
10畳の座敷と6畳の次の間そして6畳の部屋の3室
食堂
六太郎・栄四郎家族と執事書生たちが東・南面から光が入る明るく開放的なこの部屋で朝・昼・晩の食事とっていた。
若女中たち8人一部屋の相部屋
女中は総勢20人いたという
夜は若女中部屋に男性が忍び来まないように落し蓋で閉める
女中頭には2部屋があった
予算がなく襖や畳は傷んだまま。
当時は珍しく最新式の水栓トイレ
元首相桂太郎書
署名は元首相伊藤博文直筆
③果樹園や牛の放牧地が広がる谷部
植樹記念碑
右の石碑:伊藤博文(ヒノキ)と左の石碑:井上馨(梅)
井上馨伯爵は太助の気風に感銘し、経営危機に陥った貝島への融資を斡旋し何度か危機を救った。
太助は伯爵に「家憲」作成を依頼、その制定が一族と事業の繁栄へとつながる。
一方「家憲」に「一族共同事業以外の事業をなすことを得ず」とあったことから筑豊で最後まで(1976年(昭和51)閉山)炭鉱経営に従事していたがために麻生や安川のような事業転換に遅れ、現在は五代目が福岡市天神で貝島化学工業株式会社(鉱業・エネルギー)を経営しているくらいになっている。
広大な敷地
梅園、竹林などが整備されていた
150m続く竹林道
●見どころ
純和風の建築、回遊式庭園、邸内への入り口には毛利藩から移築した「毛利門」と呼ばれる門構え、また総部屋数は20あまりの部屋の造りや資材など。
以下の見どころは時間の関係で今回は見てないので秋の紅葉の頃再度訪ねて見たいと思っています。
●見どころ
庭園:紅葉が楽しめる回遊式庭園、梅園、竹林など。
山部の鳥居と狛犬を備えた社跡、仏碑、展望所跡など。
貝島炭鉱の社会貢献
多数あるので主な項目だけ列挙
①学校教育関連での社会貢献
②寄付金関係での貢献
③医療・病院での貢献
④北九州工業地帯形成への貢献
⑤民生保養関係での貢献
⑥その他多数
保存活動
「炭鉱産業の隆盛を象徴する貴重な建築遺産であり、地域の歴史と文化を今に伝える重要な存在です。歴史的価値は高い」と見て「貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会」は重要文化財指定を目指し活動中。
見学会
貝島百合野山荘は個人所有のため一般公開はしておらず春と秋の年2回見学会を開催している。
今年の春は4月19日(土)と20日(日)の2日間。秋はまだ未定。
時間:10時~12時、14時~16時
料金:無料見学希望の方は「貝島百合野山荘市民の会」のHPの「山荘見学会案内」からお申し込みください。
お問合せ先:「貝島百合野山荘市民の会」0949-33-4080へ
これだけの広大な敷地と築後110年の貴重な建築遺産を後世に残すためにも、また広くみなさんに知ってもらうためにも個人での管理には限界があるので重要文化財に指定して国の管理せめて県や市の管理が必要だと感じました。
参考までに旧高宮貝島家住宅は福岡市登録文化財に指定されています。
貝島百合野山荘アクセス
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
宮若市旧貝島百合野山荘詳しい情報有難うございます。年2回の公開是非行きたいです。
宮田町と若宮町が合併して宮若市になり、九州道のインターの標示板も若宮から若宮宮若に変わりました。
戸畑の旧松本邸は、唐津出身辰野金吾設計の洋館と、日本館を見学しましたが隣の旧安川邸も行ってみたいですね。
唐津みちこさんコメントありがとうございます。今回安川邸と松本邸を知りまた機会見つけて行きたいと思っていす。
またまたスケールの大きな山荘ですね、管理、掃除が大変でしょう。重要文化財登録の動きがあるとか、そう有りたいものです、同じ時代に生まれても才覚の有り無しで財産に大きな差が出る典型例でしょう、貧乏人は次の漢詩を口ずさんでいます。薩摩西郷どん、「我が家の家法、人知るや否や、児孫の為に美田を買わず」なんと清々しい気持でしょう、立派に名前を残しました、また江戸時代の戯れ歌、貧乏人のささやかな願望、「年中3月常月夜、嬶17俺20 、負わず借らずに子3人」貧乏ながら楽しい夕食が思い浮かびます、貧乏人でも毎日楽しく過ごしたいものです。
若宮征之助さんさんコメントありがとうございます。
さすがに博識で含蓄のある言葉教えていただきありがとうございます。幸せは意外と身近にあるもののようですね。
こんなに素晴らしい山荘がありましたこと、ブログで知り感謝で一杯です。
アメリカの石油王、日本の石炭王、まさに匹敵するスケールに誇りを感じます。
それにしましても、こちらの山荘が歴史の重みを伝え、社会貢献と文化貢献を鑑みますと是が非とも重要文化財になられることを願います。
(洋式トイレ、国内に残っているでしょうか、大なる価値、文化財クラスです)
塾長様、素晴らしい情報有難うございます感謝!
風の旅人さんコメントありがとうございます。石炭以外にも久留米には精蝋で財をなした旧松田家住宅、呼子には鯨で財をなした鯨組主中尾家屋敷や金や銀、全国にもいろいろな産物で財をなした住宅があるでしょうからそれを訪ねるのも楽しいかもしれませんね。
またまた新しい情報をありがとうございます。筑豊の石炭 御三家の状況がよくよく分かりました。
素晴らしい文化遺産がまだまだたくさん残っていますね、塾長 も一つ一つ 発掘していって 訪ねて 歴史を調べてまだまだ ゆっくりできませんね😀
トシさんコメントありがとうございます。
まだまだ近くには文化遺産が数多くあるでしょうからそれを訪ねるのも楽しみです。
今回の「貝島百合野山荘」に関する記事に関しては、塾長さんだけでなく、地元の保存会関係のF先生とのコラボが実現し大変充実した記事というより研究となったことを実感しています。
お二人ともに、素晴らしい活動されていることをあらためて敬意を表します🥰
「貝島百合野山荘」の記事が、この二つのブログで縦にも横にも、奥行きまでも深く重厚となり、一大研究論文のような輝きを放ってきたようです。そして、お二人をお引き合わせした者として大変嬉しく感じております。益々の充実を願っております🙏
Storchさんのお陰で今回百合野山荘保存の会のF氏に百合野山荘を現地で説明いただき、百合野山荘の公式HPと当ブログをお互いに掲載するようになり、その機会を作ってくれたStorchさんにとても感謝しています。
本当にありがとうございました。