こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡県飯塚の炭鉱王「伊藤伝右衛門邸」へ行って来ました。
飯塚の炭鉱王 伊藤伝右衛門
衆議院議員時代
表通りからの全景
この門は福岡市天神の赤銅御殿の火災で焼け残った門を移築したものです。
表札「旧伊藤伝右衛門邸」
元内閣総理大臣 麻生太郎 揮毫
伊藤伝右衛門邸
柳原白蓮が伝右衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりの地です。
福岡県飯塚市幸袋にある伝統的建造物。
炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門が大正時代中期から昭和初期にかけて本邸として造営したものです。飯塚市の有形文化財に指定されています。
部屋数:25部屋
建物延床面積:約300坪
敷地面積:約2,300坪
玄関
先ずは庭園から見物
伊藤伝右衛門 庭園
国指定名勝
建物唯一の二階は結婚を期に白蓮の居室ために増築したものです。
二階の白蓮の居室
二階からの眺め
障子の組み合わせは「十字型の額縁庭園」を見られます。
白蓮は一日ここから庭を眺めながら何を考えていたのでしょうか。
白蓮の作品
①「朝化粧 五月となれば 京紅の 青き光も なつかしきかな」
②「わが夢の あおばわかばにとけ入りて かろきこころの 朝ぼらけかな」
③「花」
応接間
マントルピースにはアール・ヌーボー風ビクトリアン・タイルを配し格調高い英国風の演出がなされています。
欄間に嵌め込まれているのは英国製でダイヤ模様のステンドグラス。
書斎
壁は帯を解いた絹の繊維を塗りこめた珍しい布壁です。
板戸には背景に金粉を散りばめて四季の草花が描かれています。
中の間
6畳半の畳敷きの間で、南側に木製の金庫があり、北側に神棚と床があります。
本座敷
15畳敷きの大広間で、12畳の次間が続いています。
扁額は1906年(明治39年)に東郷平八郎により「有一誠」と書かれたものがあります。(写真は撮っていません)
中座敷(主人居間)
部屋からの眺めに重きを置いて造られています。
築山に建つ茅葺きの東屋
石で造られた太鼓橋
50mはあろうかと思われる廊下
これから生活の場へ
食堂
額縁庭園が楽しめます。
浴室
洗面所
①伊藤伝右衛門の生い立ち
辛苦に耐えた幼年時代と不屈の精神
生涯:1861~1947年
父親は目明しで本業は魚の行商人でした。伝右衛門は父親と魚の行商を続けながら石炭の露天掘り、遠賀川の川船船頭、呉服屋の丁稚奉公します。
②柳原燁子(あきこ)(白蓮)との再婚
筑豊の炭鉱王に名門貴族出身伯爵の娘が嫁ぐ
明治44(1911)年 結婚。伝右衛門50才、伯爵柳原前光次女燁子25才でした。
大正10(1921)年離婚
燁子は大正天皇の従妹にあたります。
筑豊行きの動機は女学校の経営だったようです。
結婚を機に伊藤邸は大改装が施されます。本座敷の東側に伝右衛門の居間と新座敷、二階に燁子専用の座敷を設けます。トイレも九州初といわれる水洗式に改装され、朝食もパンに切り替えられました。
③別府と福岡の大邸宅
豪華な邸宅が文化サロン
●大正3(1914)年 大分県別府市に敷地3500坪、建坪300坪壮観な別荘を建設。
宮崎龍介(後に結婚)との出会いもこの別荘でした。
●大正4(1915)年 福岡市天神に建坪500坪の通称「赤銅御殿(あかがねごてん)」を建設。
燁子はここで福岡の人たちと文化サロンを形成し「筑紫の女王」とよばれました。
④白蓮の伊藤家での文芸活動
伊藤家での寂しさが文才の開花へ
育ちの違い、知り合いのない筑豊に嫁いできた寂しさが重なり、燁子は短歌の世界へと深く傾倒していきました。佐々木信綱に認められ「白蓮」と雅号をすすめられます。歌集を次々に刊行。竹久夢二が装填と挿絵を受け持ち歌人白蓮の名を世間に広めました。
大正9(1920)年 別府の別荘にいる白蓮の元へ、出版の打ち合わせのため東京から編集者の宮崎龍介が訪れました。
白蓮は太宰府に関する短歌も詠んでいます。
その中の観世音寺に関するものを二つ
「ぬかずきて 何をいのりし いにしへの 大弐の姫の かけたる願ひ」
「観世音寺ゆうべの鐘に花散れば 見も世もあらず 泣かまほしけれ」
白蓮から夫への絶縁状
大阪朝日新聞紙上に掲載された絶縁状は夫への絶縁状をもとに宮崎龍介の友人が書き直したものでした。(絶縁状はネットにあります)
白蓮に関する書籍
①「柳原白蓮」井上洋子著
②「白蓮れんれん」林真理子著
もう一人の飯塚の炭鉱王「麻生太吉」もアップしています。
麻生太吉は現自民党副総裁 麻生太郎の曾祖父になります。
パワースポット巡りをしたみなさんと伊藤伝右衛門邸に行った時の写真。
白蓮の絶縁状が新聞に掲載されると、制裁を加えろと息巻く血気盛んな炭坑(ヤマ)の男達に「一度は俺が惚れた女、手出しは許さん!」と一喝して押し止め、事件後は一切の非難も弁明もしなかったそうです。
なんともカッコよくこれが「川筋かたぎ」でしょうか。
営業案内
開館時間:日月火木金土祝 9:30~17:00 ・水曜(休館日)
※祝日の場合は開館 ・年末年始(12/29~1/3) ・他 臨時休館有
所在地:福岡県飯塚市幸袋300
TEL:0948-22-9700
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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こんにちは。伊藤伝右衛門邸懐かしく拝見しました。一部屋一部屋に思いがあって、お屋敷で働かれていた仕事仲間の御女中や庭番さんなどたくさんの方々のお気持ちと相反する白蓮さんの寂しさを感じぜずにはおられません。また、春の節句の時には100体近くのお雛様がこのお屋敷のあちこちに並びます。これもまた見事ですよ!
キャンディさんコメントありがとうございます。伝右衛門邸は何回行っても新しい発見があります。
それだけ白蓮に対する伝右衛門の思い入れが強かったのでしょうね。次はお雛様の時期に行こうと思います。
おはようございます。伊藤伝右衛門はNHKの連ドラ「花子とアン」で再び脚光を浴びましたね。飯塚の名所として有名ですが、私は地元なのに行ったことありません。
大型台風🌀が近づいてます。お互い気をつけましょう。
栗原さんコメントありがとうございます。地元とは得てしてそういうものですよね。いつでも行けると思うので。
私の印象で一番は長ーい廊下の天井には、棟梁の遊び心がのぞいています。
目の錯覚ですが平らな天井が舟底のように立体的に見えます。お気づきでなかったら是非、次は観ていただきたいです。
うっちゃんコメントありがとうございます。天井気づきませんでした。次回楽しみです。
伊藤伝右衛門邸凄いですね。一見の価値ありですね。立身出世の大偉人とは記憶思いますけど金にものを言わせて25歳も年下の女性と結婚するなんて羨ましいというか、、、
かやさんコメントありがとうございます。羨ましいですね。最後の炭鉱の男への啖呵カッコいいですね。川筋かたぎ。
伊藤邸は是非行きたい場所の一つです!
次回、行かれる折りに必ず誘って下さい。
百合ちゃんも一緒に・・・
栗田さんコメントありがとうございます。伝右衛門邸興味おありですね。その節は必ずお声かけます。