こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

毎年7月27日に太宰府の西正寺で高橋紹運公追悼法要が行われ今年は第438回になります。

【高橋紹運公追悼法要】太宰府岩屋城城主

1586年7月27日、岩屋城城主高橋紹運(しょううん)以下763名が島津軍と戦い、全員討死し落城。高橋紹運公は老臣藤内左右衛門丞重勝(とうないさえもんのじょうしげかつ)に「この仏像を持って山を下り、亡き将兵たちを弔うように」と命じました。重勝は現西正寺の場所に草庵を構え、岩屋城戦没者の菩提を弔いました。藤内左右衛門丞重勝は姓を山内、名を正順(しょうじゅん)と改め、西正寺の開基となりました。 現西正寺住職は19代山内真隆(釋真隆)。山内の姓は藤内を変姓したものと思われます。

 

太宰府西正寺

岩屋城城主高橋紹運公並勇士菩提寺

 

山門

 

石碑:岩屋城主 高橋紹運公並勇士菩提寺 

 

山内住職による「仏説阿弥陀教」

 

高橋紹運公肖像画

 

1005年「法蔵菩薩思惟像」源信作

(菩薩とは阿弥陀如来になる前の姿)

高橋紹運公が藤内左右衛門丞重勝に授けたという法蔵菩薩思惟像ともう一つは群雀の玉。

 

住職による「西正寺縁起について」

 

「献詠」諌山岳陽

亀井神道流西日本吟詠会 第三世宗家
亀井神道流西日本吟詠会 会長など

 

 

「筑前琵琶弾き語り」寺田蝶美

福岡音楽都市協議会理事。 嶺青流師範。 2014年福岡文化連盟青木賞奨励賞受賞など。 

 

 

 

現在も落城の7月27日に西正寺では追悼法要が行われており戦死者の子孫たちが参列しています。

紹運の長男統虎(むねとら)は立花家の養子となり立花宗茂と言い秀吉より柳川十二万石を与えられ柳川城主となりました。

次男統増(むねます)が高橋家を継ぎ、のちに姓を立花に改め大牟田三池の城主になりました。

宗茂の子孫は現在柳川市にある料亭「お花」で、統増(むねます)の子孫は明治になり三池を離れ、神奈川県に在住で、毎年法要の時には参列されています。

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塾長より

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