こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

二日市温泉の起源

二日市温泉は九州最古の温泉と呼ばれています。

天拝山の麓にある武蔵寺(ぶぞうじ)に、二日市温泉のルーツを紐解く文献があります。そこには、653年藤原虎麿(ふじわらのとらまろ)の娘が病気になった際に「ここから東方に葦が生えた湿地があり、掘れば温泉が湧き出る。その湯に入浴させれば病は治るであろう」と薬師如来からお告げがあったと書かれています。そこで虎麿が温泉を掘り当てて娘をその湯に入れたところ病はたちまち治癒したことが二日市温泉(当時の名は次田の湯、すいたの湯)の起源といわれています。

「二日市温泉」の名前の推移

「次田(すいた)の湯」の名から始まり、「鎮西温泉」、「西府(さいふ)温泉」、「薬師温泉」、「武蔵(むさし)温泉」と時代ごとに呼び名が変わり、昭和25年(1950年)に「二日市温泉」と改称されて現在に至っています。

 

二日市温泉の旅館数と年間客数の推移

最盛期には旅館数は30軒、年間客数30万人っだたのが、今では旅館数4軒、年間客数2万人になっています。

 

大丸別荘

1865年田代屋という宿を開いたのが「大丸別荘」の始まりです。

 

「大丸別荘」の名前の由来

二代目が本館の大丸館に別館を建てるときに、和と輪をもって大きく隆昌することを願い大丸別荘と命名しました。

 

平安邸

 

大丸別荘フロア案内

1階

2階

昭和天皇が泊まられた「天拝の間」

ピンクの印

 

ロビー

 

「大正邸」大正7年(1918年)築

 

「昭和亭」昭和45年(1970年)築

 

「平安亭」平成元年(2019年)築

大丸別荘は上記三棟からなります。

 

料理

 

昭和天皇陛下御使用之品々

大丸別荘展示物

 

次田乃湯(すいたのゆ)

 

底には玉石を敷いて川湯をイメージ

 

この先に日本庭園や吹田乃湯

 

3500坪の回遊式日本庭園

 

日本庭園内の神社

 

西側にある現在の玄関が出来る前の南側にあった玄関

三条実美公の句碑

「明治新政府で太政大臣、内閣総理大臣になった三条実美は維新直前の1865年~68年を東久世道禧(ひがしくぜみちとみ)ら五卿と大宰府に過ごした。薩摩の西郷隆盛、筑前の平野國臣ら勤王派と倒幕への策を練った。緊迫した中にも武蔵温泉で憩った際の一首」

湯の原にて鶴を見て

「ゆのはらに あそぶあしたづ こととはむ なれこそしらめ ちよのいにしへ」

・・・湯の原で餌をあさっている芦辺の鶴に尋ねたい。千代まで生きるというお前こそ千年昔のことを知っているだろうから・・・。

 

梅処

10数年前まで営業していた別荘内の和食レストラン

 

著名人のサインの数々

館内に数か所ある色紙の一つ

 

吉永小百合

 

兵藤秀子(旧姓前畑)

ベルリンオリンピック水泳金メダル

「前畑!がんばれ!がんばれ!前畑!・・・」

他にも船井幸雄(経営コンサルタント)、霧島昇(歌手)、力道山(プロレスラー)など多数の色紙。

高濱虚子や美空ひばりも訪れています。

将棋の谷川棋士と米沢棋士による対局も開催されています。

奈良時代には大宰府の長官大伴旅人はじめ高官、幕末には京から落ちてきた三条実美ら五卿、明治時代には夏目漱石は新婚旅行で訪れています。

二日市温泉には江戸時代、筑前黒田藩主専用の「御前湯」があり、今もその名で公衆浴場があります。

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塾長より

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