こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日熊本市に【寂心(じゃくしん)さんの樟】を見に行きました。
寂心さんの樟
美しさと枝張りの大きさでは日本一の樟
所在地:熊本市北区北迫618
遠くから見ると、一本の木であるのに森のように枝を広げ葉を茂らせています!
枝張り(幅)50m
説明
熊本県指定天然記念物
昭和49年(1974年)5月8日指定
「幹回り13.3m、高さ29m、枝張り(幅)50m。
樹根はタコの足のように地上をはっており、樹齢は約800年といわれている」
「この墓石は鹿子木親員(かのこぎちかかず)入道寂心の墓と伝えられているために『寂心さんの樟』といわれ、神木にもなっている。
寂心は、北部町の楠原城に居を構えていたが、のちに隈本城(現県立第一高校)に本拠を移し、1549年に没するまで隈本城を中心に勢力を伸ばした」。熊本県教育委員会
寂心さんの樟は寂心の墓をその根元に巻き込んでいると伝えられています。
鹿子木親員入道寂心は戦国時代、菊池氏の重臣であり、のちの熊本城の基礎となった隈本城の城主。
歌人でもあった寂心が詠んだ和歌4句が刻まれています。
参考(日本一)
●日本一美しく、枝張り日本一の樟は熊本「寂心さんの樟」枝張り(50m)
●日本一の巨木は鹿児島県「蒲生の大樟」(幹周り24m)
●日本一のイチョウの巨木は青森県「北金ヶ沢のイチョウ」(幹周り22m)
熊本城の歴史
隈本城
●応仁年間(1467〜)菊池氏の一族、出田秀信が現在の熊本城の前身隈本城(通称千葉城)を築城。
●その後明応5年(1496)楠原城(現熊本市北区北部町)の城主であった鹿子木親員入道寂心が隈本城に入る。
●天正15年(1587)秀吉は九州を平定。佐々成政が城主となる。
熊本城
●1600年関ヶ原の合戦の後、加藤清正が城主となり熊本城を築城。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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福田塾長さん
「寂心さんの楠」は幹周り長では、日本一の「蒲生の大楠」の24.22mには及ばない45位ですが、枝張りの大きさと美しさでは日本一とも言われ、BS番組「巨樹の国、日本」でも特筆されています。小生、
巨樹に関心があり、2位の熱海市の「阿豆佐和気神社の大楠」を除き、10までの巨樹を撮影してきました。近い内、塾長にお願いして掲載させて頂こうと
思っています。その節は、よろしくお願い致します。
Storchさん寂心さんの樟は枝張りの大きさと美しさでは日本一と言われているのですか。そうなんですか!
巨樹ベストテン、2位以外は全部撮影とはすごいですね。
是非ブログに掲載させていただきたくお待ちしています。
塾長さま
寂心さん…
写真懐かしく見ました。実家が近くなので植木IC下りて…この樟を横目に見ながら走ったものです。
今はもう親もいないので
あんなに通った熊本も行くことがなくなりました。
ゆりさんのご実家は寂心さんの樟の近くとは懐かしかったことでしょう。
実は私の実家も寂心さんの樟の近くです。同郷なんですね!
詳しい説明を読みながら、歴史的な内容を知りました。ありがとうございました!
からつくんちさんコメントありがとうございます。
みなさんからいただいた情報で内容の濃いブログになりました。情報はとてもありがたいです。
見事な樟の木で、凄い存在感ですね。
寂心さんの墓を抱いてるようで、精霊が宿っているよう。
木にはセラピー効果があるのですよね。
だから、森の中に行くとスーっと気持ちが落ちつくのはその為ですね。
寂心さんの樟、話しかけてみたくなるような木です。
ンダモシタ−ンさんコメントありがとうございます。
樹木から放出される酸素とフィトンチッドの香りで身体がス〜としますね。これが森林浴効果でしょうか。存在感に圧倒されました。
素晴らしい巨樹ですね、遠くから見ても近くから見ても。公園みたいな平地にあるようですね、きっと地元の人たちが何百年も大事に守ってきたのでしょう、生きとし生けるものを大事にするという無言の教えで子供たちも育っていることでしょう。
若宮征之助さんコメントありがとうございます。
寂心さんの樟は存在しているだけで無言の教えをしているようでした。
今月、寂心さんの樟観光で行きます。写真見ました。日立電気がCMに使っている、この木なんの木の大樹を思いだしました。御利益を頂ける様に参拝してきます。
中島のぶさんコメントありがとうございます。
この寂心さんが日立のCMだったんですね。初めて知りました。
行かれてご利益があるといいですね。