こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
飯田覚兵衛屋敷の大銀杏
所在地:福岡市中央区大名2丁目5-31
説明
「飯田覚兵衛は肥後熊本の加藤清正公の重臣で、一番備えの侍大将として加藤家の三傑と称されました。加藤家が肥後を改易されたのち、親密な関係にあった福岡藩初代藩主黒田長政公の家臣となった飯田覚兵衛の屋敷跡です。
今は『飯田屋敷の大銀杏』と呼ばれた銀杏の大木だけが、藩政時代の面影を残しています。
この大銀杏は清正公を偲んで、覚兵衛が普請奉行として築いた熊本城(別名銀杏城)から苗木をここに移植したもので以来400年、代々受け継がれてきました」
その後大正2年(1913年)に、炭鉱を経営していた中野徳次郎社長がこの地に建坪400坪の別邸を建築。銀杏の木は今も生き残っています。
飯田覚兵衛
熊本で加藤家三傑と呼ばれる重臣で武勇に優れ、中でも槍術は特筆すべきものがありました。土木普請も得意とし、清正の居城となった熊本城の築城にも才を発揮し、180mにも及ぶ三の丸の百間石垣などは彼の功績といわれ、「飯田丸」と郭にも名を残しています。
名古屋城普請や江戸城普請にも奉行として参加。
加藤家が肥後を改易されたのち清正の盟友であった黒田藩初代藩主 黒田長政に召し抱えられました。
飯田屋敷 大銀杏の再生治療
幹の空洞部にイチョウを植栽、「ひこばえ」を育成、衰弱し、崩落の危険性が高い大枝を選定、土壌改良
10~20年後
「ひこばえ」を大きく育成、徐々に古い幹を撤去
50~60年後
「ひこばえ」を大きく育成
福岡明治通り沿いのPREMIST TENJIN AKASAKA TOWERの一角(元JTの福岡支店跡)にあり、隣に福岡中央銀行本店があります。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。
福田塾長さん
熊本から福岡に転居した15年ほど前、天神から大濠公園へ散歩している途中で、この老銀杏を見かけました。
その時も、あちこちから新芽を出して自己再生している
樹木の生命力に感心したもので、巨樹に関心を持つきっかけの一つになりました。その後、放送大学のテレビ講座で「潜伏芽」のことを知りました。樹木などが伐採や落雷などの理由で失われた時の生き残り対策としてこれまで休眠していた芽が「ひこばえ」として成長を始めると言うことです。人間にも、こんな機能があればいいなあと身体中をチェックしてみました(*^_^*)
Storchさん、この銀杏の生命力に感心され、巨樹に関心を持つきっかけになられたのですね。あわせてよく勉強もしておられます。
我が家にあります福岡藩の分限帳は江戸時代の記されたものですが家臣に「飯田孫左門」を見つけました。なんと俸禄は2,500石とあります。旗本クラスですね。もしかしたら飯田覚兵衛の血筋(孫?)かも知れませんね。この分限帳に記されている武士名でいくと西暦1,800年頃と推測しています。
水城さんコメントありがとうございます。
飯田孫左門がありましたか。きっと血筋でしょうね。しかし水城さん宅は史料の宝庫で管理がすばらしいですね。