こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

2021年11月27日の記事を加筆修正しました。

泰勝寺跡

寺名は熊本藩主細川忠利が、父細川藤孝の法名「泰勝院」に由来。

住所:熊本市中央区黒髪4丁目610

細川家の菩提寺として建立。

明治初年の神仏分離令により廃寺となり、同家の別邸に改められ、1995年熊本藩主細川家墓所の名称で国から「史跡」に指定。

 

 

杉木立に囲まれた苔園

 

細川家初代当主細川藤孝公

歌道に秀でていた。

 

細川家二代忠興公

当時茶道にかけては国内随一といわれ、利休七哲の筆頭に数えられた。その流れが今日の茶道肥後古流である。

 

忠興公室 秀林院(玉子 ガラシャ)

 

 

ガラシャ夫人の手水鉢

ガラシャ夫人

忠興の妻玉子は明智光秀の三女で、洗礼名を「ガラシャ」といった。

関ヶ原の合戦直前、大坂方では東軍に味方する諸大名の動きを封じるため、妻子を人質にしようと、大坂城に入るよう要請。西軍の石田三成はガラシャにも人質になることを求めるもこれを拒み、仕えていた女子たちすべてに暇を与えて、屋敷から逃し、屋敷に火を放ち、自殺はキリスト教で禁じられているため、家老がガラシャの胸を突いて介錯。ガラシャ38才の時であった。

辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 

ガラシャ夫人の父明智光秀の結婚にまつわる感動のエピソード

 

宮本武蔵の供養塔

境内には宮本武蔵の供養塔といわれる五輪搭がある。この五輪塔は武蔵に「二天道楽」の号を授けた泰勝寺二世春山和尚の墓の横にある。

左:伝 宮本武蔵供養塔

右:春山和尚の墓

立田自然公園・宮本武蔵供養塔

 

二天一流の「二天」の語源は

二天一流の二天の語源は二刀流からではなく「二天道楽」からきている。

武蔵のすごさは剣術だけでなく、その画家としての才もあった。重要文化財の「枯木鳴鵙(こぼくめいげき)図」「鵜図」「紅梅鳩図」といった水墨画は江戸時代から「超凡」と絶賛されてきた。天は二物を与えたわけである。

 

細川家の九曜の紋の小刀(刀剣収集家内田氏所蔵)

 

 

妙解寺跡(みょうげじあと)

寺名は忠利公の法名「妙解院殿前羽林台雲五公大居士」に由来。

(北岡自然公園内)

住所:熊本市中央区横手2-5-1

1642年細川家三代忠利公の菩提を弔うため建立。

明治初年の神仏分離令により廃寺となり国の史跡に指定。

妙解寺山門

 

細川家霊廟

 

 

唐門

 

左:細川家三代熊本初代藩主細川忠利公

右:忠利公室

 

細川忠利公の殉死者の墓

 

阿部弥市右衛門の墓

忠利廟を囲む殉死者の墓の中に阿部弥市右衛門の墓もある。

森鴎外の「阿部一族」は殉死を許されぬまま追い腹を切った阿部弥市右衛門一族の悲劇のドラマ。

最後一族は屋敷に立てこもり、藩の差し向けた討手と死闘を演じ全滅。

 

北岡自然公園弓道場

学生時代ここで弓道の試合に出ていました。

 

 

大学時代、近くの泰勝寺境内の細川家私邸をクラブの合宿で4~50人の宿泊所にしていました。今から思えば学生によくぞ貸してくれたものだと改めて驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

ここが細川家の菩提寺であることも、ガラシャ夫人のお墓があることも知らず朝晩の食事を作り、夜はみんなとトランプや将棋などゲームをして楽しんでいたことが懐かしく思い出されました。

妙解寺は同じ敷地内の弓道場には度々来ていたけれども、その存在すら知らず今回連れてきてもらい初めて知りました。

特に森鴎外の「阿部一族」の主人公阿部弥市右衛門の墓が心打たれました。

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塾長より

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