こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日宮本武蔵が籠った熊本金峰山の麓「霊厳洞」に行って来ました。

霊巌禅寺境内

見事に紅葉したイチョウ

霊巌禅寺

曹洞宗霊巌寺は岩戸観音を本尊として、南北朝時代に元から渡来した東陵永與によって建立された。

本尊は境内西側にある霊巌洞に安置された石体四面の観音(秘仏)で「岩戸の観音」として広く知られている。

江戸時代には剣聖宮本武蔵が霊巌洞に籠り、兵法「五輪の書」や「三十五箇條の覚書」を著している。

安永8年から24年間にわたって、淵田屋儀平によって奉納された「五百羅漢」がある。

 

霊巌禅寺本堂

霊巌洞入口

兵法五輪書

 

宮本武蔵自画像

剣聖宮本武蔵が巌流島において佐々木小次郎との対決で使用せし木剣

長さ四尺三寸

五百羅漢

熊本の商人淵田屋儀平の願により安永8年1779年から享和2年1802年まで24年間かかって奉納したといわれている。

 

 

 

宮本武蔵

二天一流の由来

二天一流は世に言われている二刀流ではありません。剣聖宮本武蔵は生涯を行雲流水の求道の旅で終わり云々~。

 

霊巌洞

 

千数百年の昔よりこの霊巌洞に安置されているのは石体四面の馬頭観音である。中央の岸壁に「霊巌洞」とあるのは開祖東陵永與(1285~1365)の彫刻である。

宮本武蔵がここ霊巌洞に参籠し五輪書を書き始めたのは寛永二十年(1643年)彼が六十才の秋のことであり、その後1645年門人寺尾孫丞勝信に五輪書を授けた

神仏は尊し、されど神仏を頼まず、武蔵がその波乱に満ちた生涯を静かにふりかえり、剣の道をまとめあげるには絶好の場所であったらう。 

 

垂直の断崖、西に向って口を開けた天然の岩窟が霊巌洞です。

 

 

 

 

 

 

霊巌洞

 

中央の岸壁に右から左に「霊 巌 洞」とあるのは開祖東陵永與の彫刻である。

峠の茶屋

夏目漱石の「草枕」より

「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下のきしたから奥をのぞくとすすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋わらじさびしそうにひさしからつるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。下に駄菓子だがしの箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭ぶんきゅうせんが散らばっている」。

漱石が実際に立ち寄った当時の「峠の茶屋」(峠の茶屋公園)

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「山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。

 

 

 

メニュー

 

 

 

だご汁750円

 

学生時代熊本に住んでいて金峰山や峠の茶屋、霊巌洞は知っていましたけど当時はまだ興味がなく一度は行って見たいと思っていて今回念願叶いました。

霊巌洞の祠は地上から4~5mの高さのところにあり想像以上の大きさで厳かな気持ちになりました。

峠の茶屋は金峰山の途中にあり今は車で行けるので草枕の一説「おい」と声を掛けたが返事がないという雰囲気ではないけれども茶屋は昔の面影を残していました。

PS

D氏より。

熊本震災前の元気な時の熊本城の様子ですが清正と武蔵との記念写真です。大天守と小天守が立派ですね。本丸御殿通ずる地下道や天井絵や襖絵も鮮やかで豪快でした。

 

 

 

 

 

宮本武蔵は清正公の次の時代の細川忠利の客分として熊本東に位置する千葉城に1640年に招かれ7人扶持ち18石を与えられたとあります。1645年に没する。




塾長より

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