こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

熊本の旅パートⅡ  細川家菩提寺泰勝寺跡に行ってきました。熊本の旅パートⅢと続きます。

細川家菩提寺泰勝寺跡

明治初年の神仏分離令により廃寺となり、同家の別邸に改められ、1995年熊本藩主細川家墓所の名称で国から「史跡」に指定されました。

 

 

 

杉木立に囲まれた苔園

 

初代細川藤孝公

歌道に秀でていた。

 

二代細川忠興公

当時茶道にかけては国内随一といわれ、利休七哲の筆頭に数えられた。その流れが今日の茶道肥後古流である。

 

忠興公室 秀林院(玉子 ガラシャ)

 

 

ガラシャ夫人の手水鉢

ガラシャ夫人

忠興の妻玉子は明智光秀の三女で、洗礼名を「ガラシャ」といった。

関ヶ原の合戦直前、大坂方では東軍に味方する諸大名の動きを封じるため、妻子を人質にしようと、大坂城に入るよう要請。西軍の石田三成はガラシャにも人質になることを求めるもこれを拒み、仕えていた女子たちすべてに暇を与えて、屋敷から逃し、屋敷に火を放ち、自殺はキリスト教で禁じられているため、家老がガラシャの胸を突いて介錯。ガラシャ38才の時であった。

辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

ガラシャ夫人も登場 ↓

宮本武蔵の供養塔

境内には宮本武蔵の供養塔といわれる五輪搭があります。この五輪塔は武蔵に「二天道楽」の号を授けた春山和尚の墓の横にあります。

二天一流の「二天」の語源は

二天一流の二天の語源は二刀流からではなく「二天道楽」からきています。

武蔵のすごさは剣術だけでなく、その画家としての才である。重要文化財の「枯木鳴鵙(こぼくめいげき)図」「鵜図」「紅梅鳩図」といった水墨画は江戸時代から「超凡」と絶賛されてきました。天は二物を与えたわけです。

 

細川家の九曜の紋の小刀(刀剣収集家うっちゃん所蔵)

 

 

 

次回パートⅢは「阿蘇神社と新阿蘇大橋」を予定しています。

 

大学時代、近くの泰勝寺境内の細川家私邸をクラブの合宿で4~50人の宿泊所にしていました。今から思えば学生によくぞ貸してくれたものだと改めて驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

ここが細川家の菩提寺であることも、ガラシャ夫人のお墓があることも知らず朝晩の食事を作り、夜はみんなとトランプや将棋をして楽しんでいたことが懐かしく思い出されました。

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塾長より

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