こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日、ペシャワール会の中村哲医師がアフガニスタンで灌漑用水の建設になぜ命を懸けたのかの原点を探しに北九州若松に行き、また伯父火野葦平の小説「花と龍」を読んでみました。

ペシャワール会2/4 中村哲医師の歩み。北九州若松編。

中村哲は福岡市で生まれ、2年後父母の故郷である若松へ。伯父は芥川賞作家火野葦平(本名 玉井勝頼)。祖父は「花と龍」(著火野葦平)のモデルとして知られる、若松で石炭荷役業を営んだ玉井金五郎。(火野葦平の父が玉井金五郎)

 

ようこそ若松へ

 

JR筑豊本線 若松駅

 

高塔山の火野葦平文学碑への道中

イメージは45度のすごい坂道

 

第二期玉井組事務所跡

火野葦平

1906~1960年、享年54才

芥川賞受賞の「糞尿譚」や兵隊三部作「麦と兵隊」、「土と兵隊」、「花と兵隊」や「花と龍」、「革命前後」などで知られる日本を代表する作家。

 

火野葦平文学碑

葦平文学の舞台となった若松の市街地や洞海湾を見下ろす高塔山の中腹に建立。

 

碑文には自作の四行詩「泥に汚れし背嚢に、挿す一輪の菊の香や、異国の道を行く兵の、眼にしむ空の青の色」が刻まれている。  

 

眼下に若松市街、若戸大橋、洞海湾

パノラ写真(by Storch)

 

若戸大橋

 

ペシャワール会の中村哲医師はこちら↓

小説「花と龍」(著火野葦平)

作家火野葦平(本名玉井勝則で登場)の両親の物語りで登場人物はすべて実名。題名の「花」は主人公玉井金五郎の妻マン、「龍」は玉井金五郎。

 

玉井金五郎

 

中村哲

おじいちゃんの玉井金五郎にそっくりですね。

 

「花と龍」の内容は

遠賀川沿いの筑豊地方で産出される日本一の石炭の積出港として若松港を舞台に、飢餓に瀕して喘いでいる石炭荷役の沖仲士の待遇改善を求め、喧嘩嫌いで柔和で温厚な玉井組の親分玉井金五郎は弱い立場の労働者側の代表として資本家側の沖仲士の親分に拳銃を突きつけ決死の覚悟で待遇改善を勝ち取る物語。

沖仲仕 とは、 船から陸への荷揚げ荷下ろしや陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称。

川筋気質とは,遠賀川流域および石炭積出港として栄えた北九州市若松区炭鉱と川船による石炭輸送に働く人々を さし、金づかいと気は荒いが、男気がある。

 

現地若松に行き高塔山から若松市街、若戸大橋、洞海湾を眺め、小説を読むと臨場感がありとてもよく理解できました。

今まで読んだ小説の中でも三本の指に入るほどのおもしろさでした。

 

中村哲には伯父の火野葦平や川筋気質の祖父玉井金五郎の血が流れていたのではないか思います。

玉井金五郎の決死の覚悟で「沖仲仕を守る」が中村哲の死を覚悟して「アフガンの住民を守る」に繋がっていったんではないかと思います。

 

 

なお、福岡初代藩主黒田長政の筑前六端城の一つ若松城は今の若戸大橋の下の洞海湾の中の島にあったそうで、沿岸の八幡製鉄所への船による物資の輸送の妨げになるので取り払ったそうです。

洞海湾の畔にでも移設して是非名残を留めて欲しいものです。今からでも遅くはない。

筑前六端城とは福岡藩を守る若松城、黒崎城、大隈城(益富城) 、鷹取城、小石原城(松尾城)、麻氐良城の六城をいう。

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塾長より

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