こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡平尾にある野村望東尼の平尾山荘に行ってきました。
勤王の志士を支援した野村望東尼の平尾山荘
平尾山荘は女流歌人として幕末に活躍した野村望東尼(俗名もと)が晩年を過ごした別荘。

野村望東尼山荘跡
野村望東尼の業績を顕彰するとともに郷土の文化財として保存するために福岡市史跡に指定。

野村望東尼百五十年忌祭(2017年)

左が平尾山荘、右は資料展示室

平尾山荘の茶室


建坪10坪もあるか小さな山荘
野村望東尼の胸像

「雨待ちの滝」名残の井戸
この井戸は、良質な水が湧き出て今でも涸れることなく、戦前は貰い水に来る人もいたようです。

野村望東尼の略歴
野村望東尼は野村貞貫の後妻となり、夫と共に大隈言道に師事。
1859年54才の時に夫を亡くした「もと」は尼となり望東尼と称す。

この頃から勤王の志を燃やすようになります。勤王家を平尾山荘に匿った罪(1865年の乙丑の変(いっちゅうの変)福岡藩による勤王派弾圧)で姫島に流され、後に高杉晋作の仲間に救出され下関に逃れる。
姫島
姫島は糸島半島から4kmの場所にある島で周囲3.8km、人口200人。
糸島市岐志漁港から姫島までは市営渡船が片道16分で1日4往復している。

姫島での野村望東尼の獄舎跡

投獄中だった望東尼は高杉晋作の仲間に救出され下関に逃れ、山口県防府市で高杉晋作を看取り、自らも同1867年11月に同地で亡くなりました。
野村望東尼終焉の宅(山口県防府市)
享年62才

野村望東尼の墓

太宰府天満宮参道には尊王討幕の雄藩、旧薩摩藩定宿・松屋(現松屋)、旧長州藩定宿・大野屋(現まめや)、土佐藩定宿・泉屋(現梅園)が今も並んであり、その前には旧幕府定宿・日田屋」(現石ころ館)もあります。
右から松屋(薩)、大野屋(長)、泉屋(土)

松屋(現松屋)と泉屋(現梅園)のブログは下にあります。
下の写真は旧長州藩定宿・大野屋(現まめや)

旧土佐藩の定宿・梅園

松屋の栗原孫兵衛、野村望東尼、長州の御用商人白石 正一郎等のたくさんの支援者がいたから明治維新は成功したのでしょうね。
旧薩摩藩定宿・松屋(現松屋)の説明はコチラ↓
旧土佐藩定宿・泉屋(現梅園)の説明はコチラ↓
この三軒の前にある旧幕府定宿・日田屋(現石ころ館)はコチラ↓
平尾山荘
所在地:福岡市中央区平尾5-2-28
資料展示室
開場時間:9:00~17:00
入場料:無料
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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福田塾長さん
明治維新の裏の立役者が望東尼という女性だったことを、10年ほど前、小学校視察で行った姫島で知りました。
この人がいなければ、維新は夢に終わったかもと思うと、すごい方ですね。
匿名さんコメントありがとうございます。そうですね。
望東尼は太宰府にも来て松屋の栗原孫兵衛とも交流があったようですね。姫島から助け出された防府に墓参りにも行ったこともありました。
本当に…全く知らなかったことを、きちんとわかりやすく書いてあり、塾長さまはすごい方だなぁ〜と…今更ながら思いました。
これからもいろんなことを教えて下さいね😀🌸
momoさんコメントありがとうございます。これからも喜んでいただけるような記事を書いていきます。