こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

宮本武蔵が「五輪の書」を書いた熊本金峰山の中腹にある「霊厳洞」です。

2019年12月19日の記事を加筆修正しました。

霊巌禅寺

曹洞宗霊巌禅寺は岩戸観音を本尊として、南北朝時代に元から渡来した東陵永與によって建立。

本尊:岩戸観音

 

霊巌禅寺

 

江戸時代には宮本武蔵が霊巌洞に籠り、兵法「五輪の書」や「三十五箇條の覚書」を書いている。

兵法五輪書

 

宮本武蔵自画像

宮本武蔵(1584年~1645年、61才)は1640年、初代熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。7人扶持18石に合力米300石の厚遇を受け、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられていた。

7人扶持18石に合力米300石とは

  • 通常は「7人扶持」として生活用の米をもらい、
  • 知行地や俸禄として「18石」の年収があり、(1石は約180リットル、または大人1人が1年食べる米の量に相当)
  •  さらに特別に「合力米300石」が支給された(ボーナス・臨時手当て)

 

宮本武蔵が巌流島において佐々木小次郎との決闘で使用した木剣

長さ四尺三寸

 

霊巌洞

中央の岸壁に「霊巌洞」とあるのは開祖東陵永與(1285~1365)の彫刻。

宮本武蔵がここ霊巌洞に籠り五輪書を書き始めたのは1643年(寛永20)武蔵が60才の秋のことであり、その後1645年門人寺尾孫丞勝信に授ける。

霊巌洞は垂直の断崖、西に向って口を開けた天然の洞窟。

 

五百羅漢

熊本の商人淵田屋儀平により1779年(安永8)から1802年(享和2)まで24年間かかって奉納したといわれている。

 

 

峠の茶屋

夏目漱石の「草枕」より

「山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。

 

 

「おい」と声を掛けたが返事がない。

 

 

漱石が実際に立ち寄った当時の「峠の茶屋」

(ネットより)

峠の茶屋公園

ネットより

 

水前寺成趣園(公園)

1929年(昭和4年)国の名勝・史跡に指定されている回遊式庭園。

細川家三代・初代熊本藩主忠利が「水前寺御茶屋」を建て、二代藩主細川光尚、三代藩主綱利の時代にわたり造られ1671年に完成。陶淵明の詩に由来して「成趣園」(じょうじゅえん)と命名。

陶淵明の詩(帰去来辞)の一文「園日ニ渉以」より。

「庭園を日々渉り歩くことで趣を成す」という意味

 

 

東海道五十三次や富士山を模して造られている。

 

富士山

 

 

 

熊本に住んでいたころ金峰山や峠の茶屋、霊巌洞に行ってみたいと思っていたけど今回永年の念願が叶いました。

霊巌洞の祠は地上から4~5mの高さのところにあり想像以上の大きさでこういうところに籠って書き上げたのかと思うと身の引き締まるような思いでした。

峠の茶屋は金峰山の途中にあり今は車で行けるので草枕の一説「おい」と声を掛けたが返事がないという雰囲気ではないけれども茶屋は昔の面影を残していました。

熊本は出身地であり学生時代や勤務時代を懐かしく思い出しながら60年にわたる熊本の友だちに車で案内してもらい、当日は平山温泉に泊まり翌日にわたる二日間の観光でした。

 

次回は細川家の菩提寺泰勝寺と妙解寺です。ガラシャ夫人も登場します。楽しみにしていてください。

 

 

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