こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

①伊藤伝右衛門の赤銅御殿跡

伊藤ビル

飯塚の炭鉱王伊藤伝右衛門末裔経営のビルです。

明治通り側から福岡証券ビルの裏にある伊藤ビルが建っている一角に赤銅御殿は建っていました。

 

伊藤 伝右衛門(1861~1947は明治・大正・昭和時代の福岡県筑豊の実業家・炭坑主。

2番目の妻・燁子(あきこ)柳原白蓮との離婚劇・白蓮事件でその名を知られています。

 

 

 

赤銅御殿は伊藤伝右衛門が福岡市に所有していた別邸で屋根に赤銅が葺かれていたところからそう呼ばれています。

昭和通りタリーズコーヒーの裏側の赤レンガの壁が赤銅御殿の面影を残しています。

1927年(昭和2年)に漏電によって全焼してしまったそうですが、この赤レンガだけは残り、そのままになっているのです。

焼け残った門は、飯塚に移築され旧伊藤伝右衛門邸の立派な門には、麻生太郎により旧伊藤伝右衛門邸と書かれてます。

昭和通りタリーズコーヒーの裏側・伊藤ビルの隣にわずかに赤レンガ積みの壁が見えています。

 

赤銅御殿の赤レンガがわずかに見えます

 

②神屋宗湛の庭園

神屋宗湛(かみやそうたん)は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した博多豪商・三傑(他:嶋井宗室、大賀宗九)の一人で茶人としても世に広く知られた人物です。

曽祖父の寿貞は石見銀山の本格的開発に携わった人物です。
現在、屋敷跡には、秀吉を祀る豊国神社(福岡市博多区奈良屋町)が建てられています。妙楽寺にお墓があることでも有名です。

 

神屋宗湛の墓がある妙楽寺 ↓

 

庭園はヒューリック福岡ビル(福岡富士ビル)の二階に移設して保存しています。

現在このビルは建替え工事中で所有者の下に里帰りしています。

2024年12月ビルの竣工後の公開については未定だそうです。

 

ヒューリック福岡ビル4階から撮影

③肥前堀

天神地下街東8番街

 

石積みの広場

 

この広場はヨーロッパの城壁をモチーフしたものです。

また、「肥前堀」の遺構が確認されていることからその石垣のイメージも重ね合わせております(説明板)

 

肥前堀

肥前堀の名称は、福岡城築城の際に肥前佐賀藩の支援を受けたことに由来します。(説明板)

 

このお堀はなぜ「肥前堀」という名前なのでしょうか?

 

関が原の戦いで徳川家康は石田三成を破り、徳川が天下統一を果たしました。

その際、福岡藩の隣の佐賀藩(肥前)は徳川家康に対向し、石田三成を味方していました。

徳川家康が勝利してから、佐賀藩は歯向かったことを徳川家康に謝罪しましたが許してもらえません。

そこで佐賀藩は、徳川家康に味方して功績を上げ高く評価されていた福岡藩藩祖黒田官兵衛に頼んで、徳川家康に許してもらえるようにお願いした結果佐賀藩は許されお家断絶は免れました。

その お礼として福岡城を作るときに お堀の工事を佐賀藩が請け負い、その お堀の名前が「肥前堀」となったのです。

 

 

 

まだまだ福岡市内には他にも知らない史跡がたくさんあると思いますのでご存知の方は教えてください。

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塾長より

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