こんにちは!太宰府魅力発見塾の塾長の福田です。

先日福岡市御供所町の寺社巡りをしてきましたのでご案内します。

 

博多千年門

「博多千年門」は博多の街の未来千年の繁栄を願って2014.6に博多の観光シンブルとして建てられ、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲートで扉の板材には、太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟」を用い、欄間には博多織の献上柄模様が刻まれています。

博多千年門という名前には「博多のこれまでの歴史の積み重ねと、これから1000年先までの繁栄を祈念するもの」という思いを込めて名付けられました。

 

博多織の献上柄模様が刻まれています

扁額
門の表に掲げられた扁額「博多千年」の揮毫(きごう)は菅原道真の子孫にあたる太宰府天満宮宮司 西高辻信良氏によるものです。

 

裏側の扁額

 

承天寺通り

車道を小川に、歩道をその川岸の遊歩道に見立てた造りとなって、承天寺の仏殿と方丈を結ぶ石畳は石橋をイメージしています。

 

道中沈丁花が満開で甘い香りが漂っていました。2019.2.27

 

承天寺

1241年宋出身の貿易商・謝国明が建立し、聖一国師が開山した臨済宗東福寺派のお寺で山号は萬松山です。

                       

秋の博多ライトアップウオークで人気の石庭

秋のライトアップ

                  (モンQ)

                  (もんQ)

通用門

筋塀

茶色の塀に白い筋が見えます。

こういう塀を筋塀といい白い五本の線が入っているのがわかると思います。

筋塀は皇族や摂家などの御所に用いられました。皇室に由来する格式を表し、その格式の高さにより三本、四本、五本の種があり、五本を最高とします。皇族や摂家が入寺した門跡寺院(皇族・貴族が住職をつとめる寺院)などでも用いられその権威の象徴となりました。

 

左からうどん・そば発祥之地の碑、御饅頭所の碑、満田弥三右衛門の碑

 

うどん・そば発祥之地の

 1241年中国の宋より聖一国師がうどん・そばなどの製粉技術を持ち帰りました。

御饅頭所の碑

 同じく1241年中国の宋より聖一国師が饅頭の製法技術を持ち帰りました。

満田弥三右衛門の碑

 聖一国師とともに中国の宋に渡った満田弥三右衛門が1241年織物の製法を持ち帰り独自の技術を加え現在に伝わっているのが博多織です。

博多祇園山笠発祥之地

博多祇園山笠は福岡市を代表する祭りで、その起源は1241年博多に疫病が流行した時、聖一国師が施餓鬼棚に乗り、それを棒で担がせて祈祷して廻り、病魔を退散させたことに由来するとの説があります。したがって、今日でも承天寺の門前に清道を設けて山笠が巡るのは、その言い伝えによるものとされています。

 

妙楽寺

臨済宗大徳寺派で、山号は石城山。1316年大応国師(南浦紹明)の法弟・月堂宗規の開基。石城は元寇防塁にちなむ博多の異称。

当初は博多湾岸の沖の浜にありましたが1573~1591年に焼失し、慶長年間初代福岡藩主・黒田長政の入国後、慶長年間に現在地に移転しました。

博多の豪商神屋宗湛や伊藤小佐衛門、黒田家重臣の墓もあります。

山門

 

灯篭や屋根にも桃があるので調べてみましたら

中国においては古くから桃は仙木・仙果とされ、邪気を祓い不老長寿を与える植物として神聖視されているとありました。

 

ういろう伝承之地

1368年中国の明から陳延祐が持って来たのが始まりです。

山門から見える両側の塀も見所の一つです

 

博多の豪商神屋宗湛の墓

 

東長寺

806年弘法大師が唐からの帰りに、博多の浜辺の船宿を日本最初の真言秘密の寺とし建立し、東に長く伝わるようにの願い込めて、東長寺と名付けたそうです。

ここの筋塀も五本です

本堂

本堂内

左から不動明王、国の重要文化財 本尊の千手観世音菩薩、弘法大師

 

 

五重の塔

本尊は大日如来

平成23.5竣工、高さ26m

100年後の国宝を目指して建てたそうです。

                     (ミッチーさん)

 

 

真言宗に帰依した三人の藩主の墓

境内の北端に、寺を現在の地に移し再興した二代藩主黒田忠之の墓は、個人墓の大きさでは、全国2番目の墓石です。その墓前殉死6名の墓があります。

高さが5.4m~5.8mの巨大な五輪の塔

 

福岡藩二代藩主黒田忠之公の墓

 

墓前両脇に殉死5名の墓

 

三代藩主黒田光之公の墓

 

八代藩主黒田治高公の墓

 

なお、藩祖如水、初代長政をはじめ他の藩主の墓は黒田家の菩提寺であった臨済宗 横岳山崇福寺にあります。

横岳山 崇福寺 

1600年黒田長政の筑前入国以降、以下の地より現在地に移転(福岡市東区千代)し黒田家の菩提寺となりました。福岡城本丸表御門を移した山門、名島城の遺構と伝えられる唐門は県指定文化財(建造物)。嶋井宗室などの墓があります。

移転前

臨済宗大徳寺派。山号は横岳山。1240年、湛慧が現太宰府市白川の横岳に創建。翌年宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が招かれ開堂説法。1272年に大応国師(南浦紹明)が入寺し開山となりました。
 

福岡大仏

撮影禁止ですので写真は撮れませんでした。

H4年完成の日本最大の木造座像「福岡大仏」お参りください。
光背までいれると16mあります。大仏様の左側が入口地獄~真暗い通路~極楽出口です。拝観料は、ローソク線香込み50円地獄極楽めぐりは、無料です。‼️(ミッチーさん)

聖福寺

聖福寺は1195年に鎌倉幕府初代将軍源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師開山として創建された日本最初の禅寺です。山号を安国山、寺号を聖福至仁禅寺といい臨済宗妙心寺派の寺院です。

 

勅使門

山門

仏殿

回向柱

聖福寺の本尊は「釈迦、弥陀、弥勒」仏です。

回向柱は本尊の右手中指から伸びる金糸と繋がります。これを「善の綱」と呼びます。「善の綱」によって本尊と繋がった回向柱は、本尊の命を宿すとされ、回向柱の一面でも触れるとその善の綱を通して本尊に直接触れるのと同じく健康、長寿、病気平癒の功徳が得られると言われております。

善の綱

本堂

 

仙厓和尚の墓

39才で聖福寺の住職になり87才で亡くなっています。

 

場所はわかりにくいので案内図を添付しておきます。

聖福寺内の開山堂の小さなくぐり戸をくぐった境内にあります。

仙厓和尚の代表作

 

首相広田弘毅の墓もありました

 

御供所にはお寺の多さだけでなく歴史的に由緒のあるお寺がたくさんあることに驚きました。

今回は既存のアップしているお寺の説明と写真の追加と新たに聖福寺を巡って来ましたけどまだまだたくさんのお寺がありますので追々鑑賞したいと思っています。




塾長より

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