こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は太宰府天満宮回廊東の石垣を紹介します。

 

 

 

この石垣は加藤清正が築いた熊本城の井戸を掘り、機密保持のため最後は殺されたという横手五郎が築いたといわれています。

(参照 さいふまいり)

 

その横手五郎は怪力無双で1800Kgの石を首に掛けて運んだといわれている首掛け石が今も熊本城の境内にあります。

 

 

五郎の首掛石(くびかけいし)

 勇将木山弾正(きやまだんじょう)の遺子と伝えられる横手五郎は、今の熊本市横手町に育ったので、その名がついたと云われています。父弾正は、1589年(天正17年)の天草一揆のとき、志岐麟仙(しきりんせん)に味方して仏木坂(ぶっきざか)で加藤清正に一騎打ちをいどみ武運つたなく戦死しました。そこで五郎は成人ののち清正を仇と狙い、築城人夫に身をやつして、いつかは父の恨みを晴らそうと考えていました。ところがその間に彼の素性は見破られ、井戸掘りをしているとき生埋めにされたといわれています。この石の重さは、1800kgであるが、築城当時に五郎が首にかけて運んだものと言い伝えられています。

以下Storchさんから聞いた話しです。

「母から、横手の五郎暗殺の手法の話を聞いたことがありました。井戸で仕事をしていた五郎目掛けて大きな石を次々に落としたところ石を受け止めそれを足場にして登ってきて助かった。おれを殺そうと思うなら砂利を落とせと言ったので今度はそのようにところ、砂利は受け止められず足が埋まって動けなくなり生き埋めになったとか❓真偽のほどは分かりませんが懐かしく思い出しました」。

1800kgの首掛け石にしてもこの話しにしてもそれだけ力持ちだったということでしょうね。

 

わたし熊本城で首掛石を見たことありますけどこういういわれがあることは初めて知りました。

ここ大宰府まで来て石垣を築いているのですね。見事な石垣です!

この石垣は案内しないとわかりにくいかもしれません。

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塾長より

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