こんにちは!太宰魅力発見塾塾長の福田です。

この碑は手水舎と麒麟像の後ろ、大宰府天満宮宝物殿の前にひっそりと佇んでいます。

和魂漢才碑

 

和魂漢才とは

漢学に精通しつつも、日本精神を失わないようにこの四文字が、菅公の学識と教学を適切にいい現した言葉で、明治維新の後、これを替えて和魂洋才という言葉も生まれた。この碑は、安政五年(1856)菅原為定の書で、西高辻信金を中心に、平田鉄胤ほか多くの学者や志士によって建碑された。(案内板より)

菅原為定は菅家一門の五条家の人。14才で文章博士になった当代一の学者であり能書家。

碑の左には「和魂漢才碑」を建てる際の寄進者の名を刻む石塔があり、この石塔の正面には、松屋孫兵衛、楠屋總五郎らの名前を確認できます。松屋孫兵衛(栗原順平)は、月照を自邸にかくまった薩摩藩定宿「松屋」の主であります。

また、この石塔には馬関(下関)の豪商・白石正一郎の名もあるといいいますけど、経年劣化とこけに覆われ、容易に白石の名前は見つかりません。

寄進者の名を刻む石塔

 

寄進者を見ますと明治維新の勤王の志士たちを支援した人たちの名前がみえます。

日本の将来を見据える心構えから漢学に精通しつつも、日本精神を失わないようにという「和魂漢才碑」を寄進したのでしょうね。

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塾長より

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