こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日福岡粕屋郡の宇美八幡宮に行き、帰りにランチしてきました。

宇美八幡宮

所在地:福岡県粕屋郡宇美町宇美1-1-1

神功皇后(170年~269年)が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、574年に応神天皇を祀ったのに始まります。「宇美」の地名も「産み」に由来します。鎌倉時代初期から安産の神として信仰されるようになりました。

境内には、助産師の始祖が祭られている「湯方社」、応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神功皇后が出産された際につかまったとされる「子安の木」など安産に関する言い伝えが数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。

 

応神天皇御降誕地

御祭神

神功皇后、応神天皇、玉依姫命(初代天皇神武天皇の母)、住吉大神、太祖大神

 

神門

 

狛犬

 

拝殿

 

御祭神

 

本殿(拝殿の後ろ)

 

子安の木

神功皇后が出産時につかまったとされる「子安の木」

 

 

境内には数多くの文化財があります。

国の天然記念物

①衣掛けの森

神功皇后が出産のときに産衣を掛けたという衣掛けの森

 

 

②湯葢の森

「この樟の下にて産湯を仕え奉れるときその枝葉繁りて湯舟の上に蓋のごとくなれりよりて湯葢の森という」。

 

 

子安の石

これらの石は安産された人が生まれた赤ちゃんの健やかな成長を願って

●赤ちゃんの名前
●生年月日

このふたつを石に書いて納めたものです。

その納めた石をお参りされた妊婦さんが預かって帰ることで「前にお産された方の安産にあやかる」という意味があります。

無事出産後には預かった石と、自分で用意した石に同じように赤ちゃんの名前と生年月日を書いて納めます。

 

 

 

奥宮「御胞衣ケ浦」へ、徒歩5分

主祭神 応神天皇の御胞衣を納めし処

 

 

 

子安餅

 

 

しょうけそば竹亭

近くにおいしそうな蕎麦屋さんがありましたので寄りました。

 

 

 

ミシュランガイド掲載店

ビブグルマン獲得・・・・ミシュランガイドにおける「安くてコスパのよいおススメの店」。5,000円以下で食事ができる、おすすめレストラン。

人気メニュー:鴨汁蕎麦子安セット

営業時間:11時頃~15:45頃まで

売り切れしだい閉店

定休日:火曜日(祝日・戌の日を除く)

福岡県粕屋郡宇美町宇美1-7-1(宇美八幡宮横)

TEL:092-932-0530

 

神官さんに「当宮で是非見てほしいものはなんですか」とお尋ねしましたら「『湯蓋の森』」と『衣掛の森』」と言われました。

わたしも以前福岡箱崎に住んでいるときに長男と次男が生まれたので、ここ宇美八幡宮にお参りに行きました。

最初のお参りで姿かたちやら名前がよさそうな石をお預かりして帰り、無事に生まれて名前を付けた後、準備していた石に名前を書き、預かった石を持ってお礼のお参りに行きました。

 

以下に神功皇后の詳細書いてこれでやっとわかりました。

ブログにアップしたからわかりましたけどアップしなければわざわざは調べませんので改めてブログに感謝してます。

 

以下興味ある方はお読みください。

神功皇后

偉業を成し遂げた伝説的な神功皇后(169? 〜 269年?)は、第14代仲哀天皇の皇后応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれます。
三韓征伐を指揮した逸話で知られ、邪馬台国の女王・卑弥呼を思わせる不思議な力を持っていたとも云われます。

●一時期、天皇の一人と数えられた存在

●日本に男尊女卑が考えがなかった事を意味しています。大正以降、神功皇后を公式に女帝とする事はなくなりましたが、それでも日本には古代を中心に十代八方の女性天皇が存在しました。
儒教的な思想がもたらされる以前、日本には男尊女卑的な考えがなかった事を表しているともいえます。

三韓征伐

『古事記』や『日本書紀』、各地方の『風土記』には、歴代の天皇にも引けを取らない神功皇后の事績が記されています。
特に有名なのが神功皇后が自ら軍勢を率いたという三韓征伐(新羅征討)の物語です。

●神功皇后、自ら軍を指揮

神功皇后が夫の仲哀天皇とともに九州の熊襲征伐に向かった折、突然皇后に「熊襲よりも海の向こうの新羅国を求めよ」という神のお告げが下りました。
ところが、仲哀天皇はこれを信じなかった為、神の怒りに触れて急逝してしまいます。
そこで神功皇后は神々の声に耳を傾けながら自ら軍の先頭に立ち、征討に赴きます。

●戦わずして三韓に勝利

神功皇后は、神の言葉に従って武内宿禰と供に対馬を進発、新羅へ向かいました。
神功率いる一行の乗った船は風の神の力によって順風満帆に進み、海の神の力(波)によって陸地の奥まで船を押し進め、そして、魚の助けを借りたといいます。
神の力を借りた船団が起こす波で新羅は水浸しとなり、その力を見た新羅王はすぐに降伏しました。
これを知った高句麗王、百済王も降伏し、神功皇后は戦う事なく三韓を服属させる事となりました。
(ただし現実的には、局地戦に勝利しただけで、三韓全ての服属については加筆と考えられます)

●お腹に子を宿したまま戦った

実は三韓征伐の時、神功皇后は臨月の身でした。
そこで、お腹に鎮懐石(ちんかいせき)という石を挟む呪いをして出産を遅らせ、帰還後に無事に立派な皇子(15代応神天皇)を出産しています。
更に仲哀天皇没後に起こった乱を平定し、応神天皇が位に就くまで、自ら政務を執り行ったのであります。

卑弥呼の様に不思議な力を持っていた

神の声を聞く不思議な力を持った上に、妊娠、出産、軍事、政治と全てをこなした神功皇后は、神話の中でも指折りの女帝でした。
『日本書紀』ではこの功績を称えて、神功皇后の為に独立した項目を立てて他の天皇と同様に扱っているのです。
彼女が持っていたとされる不思議な力は、『魏志倭人伝』に記される“邪馬台国の女王 卑弥呼”を彷彿とさせます。

四つの社殿が並ぶ住吉大社

住吉大社は、新羅征討での住吉神社の加護に感謝した神功皇后によって創設されたと伝えられ、住吉三神(ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオ) に加えて神功皇后も祭神に加えられています。
神社はそれぞれの祭神を祀った四つの本宮が立ち並ぶ珍しい様式で、摂津国一宮として多くの信仰を集めています。(ネットより)

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