こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
今回は太宰府天満宮境内にある5対の狛犬を紹介します。
謂れや詳しいことは知りませんでしたので調べてみました。
狛犬とは
・高麗犬(こまいぬ),胡麻犬などともいわれ、社寺の門前に守護のため置かれる獣形の像です。
・普通は左右1対。起源はインド,ペルシャにあるといわれ,日本では平安中期,清涼殿に獅子像と1対に置かれたのが始まりと伝えられています。
・向かって右が開口,左が閉口が一般的でこれを阿吽(あうん),陰陽になぞらえられます。木・石製のものが多いが青銅・鉄・陶製のものもあります。
阿吽とは
この言葉も誰でも知っていますけど念のため調べてみました。
・梵字の12字母の、初めにある阿と終わりにある吽。密教では、この2字を万物の初めと終わりを象徴するものとし、菩提心と涅槃などに当てます。
・仁王や狛犬などにみられる、口を開いた阿形 (あぎょう) と、口を閉じた吽形 (うんぎょう) の一対の姿。
もともとは、狛犬は左右で呼び名が違っていました。
日本の狛犬の始まりは、宮中や神殿に置かれた木造の「獅子」と「狛犬」。
向かって右側の阿形(あぎょう)が「獅子」、左側の吽形(うんぎょう)が「狛犬」と呼ばれていました。
つまり、向かって右側の口を開いている阿形が獅子。獅子なので角は無し。
そして、向かって左側の口を閉じている吽形が狛犬。狛犬は角が有り、ということです。
①太宰府天満宮太鼓橋手前の狛犬
台座に「宿坊 匂當坊」と記されています。
長州萩の人が 匂當坊を取次として奉献したそうです。
台座四方の絵は池大雅の書だそうです。(さいふまいりより)
②太宰府天満宮太鼓橋手前の狛犬の手前
最近気づきました。
③太宰府天満宮楼門手前の狛犬
明治39年博多商人の寄進のようです。
左の狛犬には角が確認できます。
④太宰府天満宮楼門を入って小川の畔の狛犬
台座の裏に明治31年福岡県糸島郡二丈町増田市太郎寄進と書いてありました。
⑤太宰府天満宮本殿前の狛犬
台座に嘉永五年(1852年)「宿坊 延寿王院」と記されています。
下関や福岡湊町の人たちが延寿王院を取次として奉献したそうです。(さいふまいりより)
左の狛犬には角が確認できます。
今まで何気なく見てましたけど狛犬の謂れ、阿吽の意味、左が狛犬で角あり、右が獅子で角なしなどブログにアップすることにより初めて知りました。
我ながらブログに感謝です。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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こんばんわ。
狛犬って、あることは知っていても気にしたことなかったですね。
いろんな形があるのですね。
ちっちゃな頃、近所の神社で、友だちと馬乗りしていた頃を思い出します。おてんば・やんちゃな友だちばっかりでした(笑)
ところで「宿坊」って言葉が出てきてましたが、むかし太宰府天満宮で泊まれたんですかね?
いまやどさんコメントありがとうございました。
現在西高辻宮司邸の延寿王院を調べてみますと天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていたころの宿坊とありました。調べてみて初めて知りました。
いまやどさんへ。
近くの公園に土台にスプリングの付いたパンダとライオンの遊具があり小さい子どもが乗って遊んでいますけど狛犬は昔の子どもたちにとっては格好の遊具だったんでしょうね。