こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

大宰府観世音寺の裏通りの歴史の散歩道を通っていたら「猿澤池跡」の石碑を見つけました。

太宰府市の猿澤池跡

福岡県太宰府市観世音寺5-6-1

奥の建物は観世音寺宝蔵(仏像収蔵庫)

 

石碑には

「池の詳しい由来は不明ですが、江戸時代の地誌には、9m程の池に小島があり樟の大木が繁ると記述されています」

 

平成二十八年三月建立 太宰府市

 

樟の根元付近に「猿澤池跡」の石碑が見えます

 

 

樟は二股に分かれています。

 

池の由来や奈良の猿沢の池との関連があるのかなといろいろとネットでも調べてみましたけどほとんど情報がなく詳細は分からなっかので、太宰府市役所文化財課や太宰府市都市計画課に問い合わせ以下のような回答をいただきました。

太宰府市文化財課からの情報

【聞き取り情報】

円形状の池があって、真ん中に中島がありそこに楠木があった。周りの池は深くはなかったが、蓮も 生えていた。

【文献情報】

〇加藤一純、鷹取周成『筑前国続風土記附録』1798年(寛政10)

「猿澤池  観世音寺の東にあり。水面方五間斗、池中に嶋有て老楠一株植り」

〇『太宰府旧跡全図』1806年

「サルサワノ池 ナラノウツシト云」

〇青柳種信『筑前国続風土記拾遺』文政年間(1818~1830年)

「講堂の東北二町斗人家の前田の中に残れり。方五間斗中に小嶋あり。楠大樹あり」 

〇臼井匡胤ほか『福岡縣地理全誌』1880年

「猿澤池址  観世音寺講堂ノ東北二町。門ノ内ト云所ノ田ニ其址存セリ。方五間許。中ニ小島ア リ。池側ニ楠ノ老木アリ。周四間」

⇒猿澤池といわれる方9mほどの池に小島があって、クスノキが1本繁っていたという。現在池は残っていないが、クスノキが1本残っている。

【ボランティア調査情報】

〇楠の木の下に池の跡がある。現在水はない。

〇30年程前まで、付近の田への用水池として水があった。

〇農業をしなくなったので水を引くことをやめた。保存協会の万葉植栽グループが菖蒲を植えて景観史 跡となっている。

太宰府市都市計画課からの情報

【石碑情報】

平成28年3月、風致維持向上計画に基づき、太宰府市都市計画課が標柱設置。

風致維持向上計画とは

歴史の散歩道などの歴史的な通りの沿道の主要な地点に埋め込みサイン・案内板・解説板を設置することで、回遊性の高いネットワークを形成し、歴史的風致を活用したまちづくりの推進を行うことにより、歴史的風致の維持向上に寄与する。

奈良の猿沢池

749年造成の人口池

興福寺が行う放生会の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工池。放生会とは万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式。

興福寺の放生池はわずか360mの周囲には柳が植えられており、大変風情がある。小さな池ではあるが、水面に興福寺五重塔の影が映る様子は、奈良公園には欠かせない景観の一つに挙げられる。(HPより)
 
以下に若宮征之助さんのコメントを参考に奈良の猿沢池の名前の由来を追加しました。

奈良の猿沢池の名前の由来

インドの仏跡 獼猴(びこう)池に模して、興福寺南大門前の放生池として設置されました。

「獼猴」は大きなサルまたは尾の短い種類のサルのことです。
 
日本に何か所か猿沢池があるのはインドの獼猴(びこう)池や奈良の猿沢池に模して付けたのではないでしょうか。
 
だから太宰府の猿沢池もインドの獼猴(びこう)池や奈良の猿沢池の名前を参考に命名したと思われます。
 

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塾長より

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