こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
先日福岡市博物館で念願の名槍「日本号」と金印「漢委奴国王」を見て来ました。
福岡市博物館
母里太兵衛(1566生~1615没、享年49才)
母里太兵衛は黒田如水、長政に仕え黒田六端城(筑前六端城)の鞍手郡鷹取城や嘉麻郡益富城を任される。
黒田六端城とは黒崎城、若松城、益富城、鷹取城、松尾城、左右良城の六端城
名槍「日本号」
母里太兵衛はことのほか酒癖が悪い福島正則に無理に勧められた大盃の酒をみごと呑み干し、正則から日本号の槍を手に入れる。
このエピソードをもとにできたのが福岡県の民謡「黒田節」である。
「酒は~ 飲め~飲め~飲む~ならば~♪・・・」
この「日本号」は明治期に玄洋社を主催した頭山満が所有していたとも伝えられている。
総長321.5cm、重さ2.8kg
刃長が1尺(30.3cm)を超える槍を大身槍(おおみやり)というが本槍は優に倍を超す79.2cm。
平らな部分には龍が剣先を吞みこもうと大きく口を開く姿が彫られている。これを俱利伽羅紋(くりからもん)という。
柄の前面には煌びやかな螺鈿細工が施されている。
実際、戦で使ったような傷跡が2~3カ所あります。
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塾長より
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母里太兵衛は槍の名手でしたね。通常、味方の陣内であれば槍の穂先には鞘を付けなければなりませんが太兵衛には鞘を付けないのが許されていました。それだけ信頼できる家臣だったというけとですね。
水城さんコメントありがとうございます。
母里太兵衛には信頼が厚かったから鷹取城や益富城が任されたのですね。二つのお城訪ねたいと思います。