こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

今回は「定遠館」を案内します。

1894年 明治27年の日清戦争後、太宰府天満宮の神職であり衆議院議員でもあった小野隆助は、清国の旗艦「定遠」(艦隊の司令長官が乗っている軍艦)の引き揚げを大本営宛に求め、1896年にその許可が降りました。およそ1年をかけて引き揚げた小野隆助は、自邸内に定遠の部材を用いて記念の館を建てました。

一時期、地元の民間会社の所有物になっていましたが、太宰府天満宮が買い取り、以後、職員住宅としても使用されていました。

ボートのオールが縁側の下の部材と使用されていたり、玄関口には装飾品として使用されているものもあります。また、駐車場の門扉は装甲鉄板を使っており、海戦時の砲弾が炸裂した痕が残ったままとなっています。

入口の門扉は砲弾で炸裂した痕が残っている装甲板を使用。

定遠館

屋根の飾りも定遠の飾りを使用

屋根裏の梁は定遠の帆柱を使用

救命ボートのオールを使用

内部にはキャプテン室のドアーやデッキなど数多くの部材が使用されています。

当時敵国の船を引き揚げまたその部材を使って館を建てるという小野隆助の目的は何だったんだろかと不思議に思います。




塾長より

いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
お名前はニックネームでも大丈夫です。

これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。