こんにちは!太宰府魅力発見塾長の福田です。

先日11.12~13 福岡朝倉の平塚川添遺跡に行ってきました。

 

途中キリンビールでランチを食べコスモス鑑賞。

 

KIRIN BEER FARM

 

 

 

全体的には満開は過ぎていましたけど西側はまだ満開で楽しめました。

 

 

 

「卑弥呼の里あさくら」パンフレットより

~邪馬台国東遷説~

甘木・朝倉地方と奈良・大和地方。この驚くべき地名の一致!

甘木・朝倉地方と奈良・大和郷のまわりの地名とを比べてみると、21の地名のうち17までは発音がほぼ一致しています。(下の地図参照)

地名の配置もほとんど同じです。昔、民族が移動する場合にはその地名をもって移動したとされています。また甘木・朝倉地方には邪馬台国時代の遺跡が数多く点在していることなどから、邪馬台国は甘木・朝倉地方に存在し、それが東遷し、大和朝廷の母体となったと考えられています。

                  

 

講演会「卑弥呼の墓は朝倉にあった」

題目

1.「邪馬台国は朝倉にあった」

2.「邪馬台国論の問題点」

3.「朝倉地方の古代伝承」

4.「女王卑弥呼は朝倉にいた」

 

平塚川添遺跡公園

平塚川添遺跡は、平成3年に発見された弥生時代の大規模な集落遺跡です。

 

紀元前後頃に形成され、弥生時代後期~古墳時代初期(紀元2~3世紀)に最盛期を迎えた集落で、最盛期には数百人が生活していたと考えられます。

東側の福田台地を背にして、筑後川の支流である小石原川中下流の低地に立地し、一部水を湛えた多重の環濠(かんごう)に囲まれているのが特徴です。
  

 

平塚川添遺跡公園案内

平塚川添遺跡は、約2000年前から約300年間、弥生時代中期から後期にかけて栄えた集落遺跡である。

台地の下で川に近い低地にあり、水の入った多重の環境に囲まれているのが特徴である。

 

竪穴住居と掘立柱建物

 

平塚川添遺跡の時代の位置付け

 

多重環濠

 

集落の中心部には当時の住居である竪穴式住居、木の桁橋(けたばし)、穀物倉庫と思われる高床式倉庫、「祭殿」、集会所(首長館)などを復元し、集落を多重に囲む「環濠」には水を入れました。

 

 

 

 

 

 

 

出土した花粉や樹葉・ドングリなどから、当時の植生の復元を試みましたので、昆虫・野鳥・野草などが生育し、弥生時代の「集落景観」「生態環境」を体感できる公園になってきました。

どんぐり

 

まてじい

 

蒲の穂

 

種子が飛び散る寸前

 

卑弥呼ロマンの湯

天然温泉

この温泉には時々行っていて単に卑弥呼の名前を使っているくらいに思っていました。

しかし邪馬台国があったという説を今回初めて聞きネーミングの由来がやっとわかりました。

天然温泉で木の香りがしとてもいいお湯です。

住所:朝倉市甘木198-1

TEL:0946-21-8800

開館時間:9:00~22:00

入浴料:年齢により200円~420円

休館日:毎週月曜日、1月1日(月曜日が祝日・休日の場合は営業)

 

宿泊先の日田の宿 「よろづや」

 

 

 

部屋から暮れなずむ三隈川の眺め

 

朝食

 

朝霧の三隈川

 

亀山公園

 

三隈川に浮かぶ鴨の群れ

 

「邪馬台国は甘木・朝倉地方に存在し、それが東遷し、大和朝廷の母体となったと考えられています」こういう話は夢がありとてもうれしくなりますね。

それもわたしたちが住んでいる隣町ですからなおさらです。

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fukuda0917@yahoo.ne.jp

塾長より

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