こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日熊本・山鹿のつつじ寺で有名な日輪寺に行ってきました。

日輪寺

 

日輪寺(にちりんじ)は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。

菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹です。

忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩江戸屋敷にお預けになった大石内蔵助・良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔があります。

春には、標高142mの裏山に3月下旬から約200本の桜、4月中旬からは3万5千株のツツジが咲き誇り、一帯は赤や白、ピンク色に染まり、花見客・観光客で大変賑わいます。

日輪寺の碑

山門

日輪寺本堂

弘法大師像

大石内蔵助討入の像

 

赤穂義士(大石内蔵助)説明 ↑

時は元禄十五年1702年当時の将軍徳川綱吉は討入を果たした浪士を四人の大名の江戸屋敷に預けた。熊本細川家に大石内蔵助を含め十七名、松山の松平家に十名、毛利家に十名、水野家に九名合わせて四十六名。

浪士の一人寺坂吉右衛門は内蔵助から別命を受け姿を消したと考えられている。

細川家は堀内伝右衛門を接待役に担当させ幕府を恐れず優遇させた。

堀内伝右衛門は十七名の武士道に共感。当時の細川の殿様細川綱利公に申し出て遺髪を懇願してもらい受け自分の菩提寺である日輪寺に埋葬された。その時建てられた供養塔が現在門のそばにある遺髪塔である。(案内板)

赤穂義士遺髪塔由来 

一.赤穂義士の接待役

二.義士の遺髪塔建立

三.現在の遺髪塔

四.堀内伝右衛門の墓

遺髪塔

遺髪塔左の碑

住所:熊本県山鹿市杉1607

 

 

国道3号線沿いの看板は通るたびに見ていましたけど赤穂義士遺髪塔の字は目に入りませんでした。

今回行ってみて赤穂義士の武士道に共感し細川家は幕府を恐れず接待させたということを知りこちらも義を重んじた武士道に感動しました。

 

PS

K氏のコメントより。

堀内伝右衛門とか武士の名前で「門」が付くのは上司やその家を守るための「門」として名前に用いられていると聞きました。私が保有している武士の黒田家「分限帳」には約1,500人の武士名が記されています。門の付く名前が多いのは俸禄100石以上の武士に多いです。名前の通り細川家で活躍した人ですね。

黒田家「分限帳」

分限帳とは戦国時代以降に作られ、戦国時代各地の大名が、自分の治める領国内の家臣団を、その身分や家柄ごとに記載した名簿

 

 

 

 

 

 

ブログを見られたK氏から早速分限帳が送ってきました。

公文書館のようでためになる資料をご提供いただき歴史の理解がとても深まり感謝しています。

ありがとうございました!

 




塾長より

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