こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日福岡天神のど真ん中にある隠れたスポット・史跡【福岡刑場跡】を訪ねてきました。

福岡藩刑場跡

アクロス前の天神中央公園

 

 

1877年(明治9年)から1981年(昭和56年)までここには福岡県の県庁がありました。

 

この石柱は福岡県庁舎が解体されるまで玄関などに使用されたものです。

 

 

 

公園の南東の一角にある福岡刑場跡

 

 

 

福岡藩刑場跡石碑案内板

「福岡藩の処刑場跡と伝えられ、天神中央公園になるときこの石碑が建てられました。
初代藩主黒田長政に従って福岡に入った中津合元寺の空誉上人が、徳川家と黒田家の抗争によって内通者との疑いをかけられ、ここで残虐な処刑を受け死んだといわれています。

だが空誉上人が内通していたという証拠は無く、徳川家と黒田家の信頼関係を維持するために利用された形になったのではといわれています」。

 

 

福岡藩刑場跡石碑

 

 

 

 

この刑場跡はアクロスの敷地内にあり、横を流れる那珂川は江戸時代福岡と博多の境界だったことからてっきり福岡の端っこで福岡藩の刑場と思っていましたけど、ここでは空誉上人が処刑され、実際の御仕置場は三笠川沿いの「竪浜町」は現在の博多区下呉服町から大博多町にかけての大浜地区にあったようです。

 

 

実際の御仕置場跡(刑場跡)

御笠川に架かっている恵比寿橋から大博町大浜地区の御仕置場跡を眺む

 

アーベイン大浜(御仕置場跡)だったと思われる場所。

下呉服町10-33

 

電柱の案内板↓

「天保12年(1841年)ニッポン解剖学事始メ」

19世紀初頭の市小路町、呉服町、浜口町(現在の奈良屋町、綱場町、中呉服町、下呉服町)一帯は蘭方医が集中し、博多の医学は最先端医療センターともいうべき日本のトップレベルにあった。天保12年(1841年)、医学のフロンティア精神に燃える博多の蘭方医たちが、ここ大浜の地で、敢えて宗教的タブーを破り、医師自らの手で人体解剖を行い研究を深めた。

 

(参考)

「博多子女郎由来」

PS うっちゃんより

「博多古図」提供

右の↓が「御仕置場」、左の▢の囲みが「牢屋」

 

御仕置場

ブログでの処刑場「竪町浜」

 

牢屋

ブログでの刑場跡




塾長より

いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければ記事の一番下にある「コメントを残す」より
コメントを書いていただけますと、記事を書く励みになります。
お名前はニックネームでも大丈夫です。

これからも太宰府の魅力をお伝えしていきますので
応援よろしくお願いします。