こんにちは!太宰魅力発見塾塾長の福田です。

今回は大宰府天満宮境内にある絵馬堂を案内します。

 

絵馬堂

絵馬堂とは神社・寺院で奉納された絵馬を掲げておく堂。中世以降は種々雑多な画題が登場しました。

太宰府天満宮境内の絵馬堂は今から206年前の1813年に奥村玉蘭が一族をあげて寄進したものです。

 

奥村玉蘭

玉蘭は博多の藩御用達醤油屋の3男であったが訳あって大宰府に庵を結んで隠遁し、その庵に仙崖和尚揮毫の額を掲げて考古の学を楽しみました。
玉蘭は10年の歳月をかけ、筑前の国を歩き、”筑前名所図会”全10巻を完成させました。

 

絵馬とは

「神様や仏様に祈願、またはお礼参りのために奉納する絵の描かれた板」のことです。

 

絵馬の由来

絵馬の起源は、神様に神馬(しんめ)として生きた馬を献上する古代の風習にあるとされています。
時が経つと、本物の馬は木で作った馬や土で作った馬で代用されます。
そして、平安時代には絵に描いた馬を奉納するようになります。
さらに、室町時代には個人が現世利益を求め、小型の絵馬を奉納するようになります。
江戸時代には家内安全や商売繁盛といった身近なお願い事を書く風習が庶民にも広がりました。

それによって馬以外の絵も描かれるようになり、今のように様々なデザインの絵馬が生まれました。

 

 

 

天保3年(1832)

 

 

 

 

 

確か20年ほど前までは太宰府天満宮本殿左横に馬小屋があり白馬がいたような記憶があります。

それぞれ寄進されたものの寄進者やその背景、何が書いてあるかなどがわかるともっと面白みが増すと思います。

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塾長より

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