こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

 

先日太宰府市白川にある横岳山崇福寺に行ってきました。

 

横岳山崇福寺

宋より帰国した聖一国師が開堂説法した寺院

大宰府にあった横岳山(おうがくざん)崇福寺は、通称『横岳(よこだけ)崇福寺』と称し、博多に再建された崇福寺の別院となっています。
 
崇福寺は鎌倉時代の仁治2年(1240年)隋乗坊湛慧が創建し、翌年宋より帰国した聖一国師が開堂説法をしました。
 
渡唐天神(宋)の伝説はこの頃に由来します。
 
聖一国師が京都に招かれて30年後、文永9年(1272)湛慧の招きにより、大応国師が崇福寺を開山しました。
ここに留まること33年。地方に禅風を興し、後鎌倉に移り、延慶元年(1308)遷化しました。別院の東の丘に大応国師の墓「瑞雲塔」があり遺髪を納めています。
 
奥の方にいくと崇福寺別院があります。

 

 

 

崇福寺は今は訪れる人もなく管理だけして廃寺ではなかろうかと思います。

住所:福岡県太宰府市白川25-1

 

博多崇福寺は慶長5年(1600年)黒田長政公が筑前国主となり、大宰府は不便につき現在地 福岡市博多区千代に移したものです。

ご存知福岡藩藩主黒田家の菩提寺。

 

朝日地蔵

横岳山崇福寺の開基湛慧禅師のお墓

ここは横岳山崇福寺の開基湛慧禅師のお墓で、また入寂の地でもあります。自然石を祀ってあり参詣者が多いです。
言い伝えによりますと、今から750年程前の鎌倉時代のこと、観世音寺にも正月に追儺の行事が行われ、その日前を通りかかった人を捕らえて追儺の鬼としました。たまたま湛慧が通りかかって鬼に仕立てられ、煙でくすべ立てられます。湛慧は僧の身でありながら、鬼にされ辱めを受けたことを悲憤慷慨し、ここに横穴を掘って入り、読経しながら成仏しました。
そこで人々は亡骸を手厚く葬り、お地蔵様を祀って供養したといいます。
 

 

住所:太宰府市観世音寺5-14

 

ここのお地蔵さんはいつもキレイに手入れが行き届いています。

地元の方々でお世話しておられるからでしょうね。

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塾長より

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