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【和泉式部】平安朝きっての歌人

百人一首

「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

和泉式部公園

場所:佐賀県嬉野市塩田町大字五町田甲4003

 

和泉式部の歌碑

碑文

「平安の女流歌人として知られる和泉式部は九才まで塩田郷大黒丸夫婦に育てられたと伝えられています。式部成育の地  恩賞として授けられた五町田を望むここ吉浦の丘に和泉式部を偲び記念碑を建立します」平成4年 塩田町

 

嬉野市塩田町と和泉式部

「平安朝きっての歌人として名高い和泉式部は、佐賀県杵島で生まれ塩田町の大黒丸夫婦に引き取られて育てられました。和泉式部は小さいころから評判の器量よしで、利口この上なく、成長するにつれ誰に教わることなく歌を詠み始めました。その優れた天性は京の宮廷でも知られるところとなり、宮廷の召し上げたいとの要望に大黒丸夫婦は応じることにしました。それは和泉式部が9才のころのことでした。

宮廷の才女として紫式部や清少納言らとともに平安の歴史に残る存在となり、五歌仙の一人に数えられています」。

五歌仙とは赤染衛門 (あかぞめえもん) ・和泉式部・紫式部・馬内侍 (うまのないし) ・伊勢大輔 (いせのおおすけ) 

 

和泉式部の像

 

塩田五町田の地名の由来

和泉式部は一度も故郷へ帰ることはありませんでしたが、大黒丸夫婦や故郷を忘れることができずその心情を

「ふるさとへ 帰る衣の色くちて 錦の浦や 杵島なるらん」

と詠じました。天皇はこの歌にいたく感動され褒美をとらせようとされたところ和泉式部は「故郷の年老いた父母が、余生を安心して過ごせるよう田圃をください」と申し出て、天皇は五町歩の田圃を下賜されました。それからこの塩田に五町田の地名が起こったといわれています。

 

「君が望む その木の綿は川瀬住む 鮎の腹にぞ 宿りぬるかな」

 

嬉野温泉

日本三大美肌の湯

嬉野温泉(佐賀)、斐乃湯温泉(島根)、喜連川温泉(栃木)

ぬめりがあり美肌になると女性に人気の温泉地

神功皇后は温泉に入った兵士が傷が癒えたのを見て「あな、うれしの」と言ったことにより嬉野温泉の名がついたといわれています。

シーボルト(医師)も1826年に訪れています。

 

シーボルトの湯

 

 

 

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塾長より

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