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九州のお伊勢さん【伊野天照皇大神宮】

所在地:福岡県糟屋郡久山町猪野

地名は明治以降「猪野」(いの)にしましたが、それ以前は「伊野」(いの)の地名でした。

主祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)、手力雄神(たぢからおのかみ)、萬幡千々姫命(よろずばたちぢひめのみこと)

創建

仲哀天皇9年(西暦200年)仲哀天皇は新羅出兵せよとの神託を聞かなかったため香椎の宮で崩御。その後を継いだ神功皇后による三韓征伐所縁がその創始とされています。

式年遷宮:「九州の伊勢さん」とも呼ばれ、神殿や建物の配置は伊勢神宮を模して築造され、伊勢の例にならい20年毎に式年遷宮を行っています。

武将の信仰も厚く北条時宗、菊池武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景や福岡藩代々の黒田藩主も参拝に訪れています。

 

伊勢神宮

伊勢神宮は1つの神社ではなく、五十鈴川のほとりにあり天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と、天照大神の食事を司り、衣食住など様々な産業の守り神である豊受大神宮(外宮)を中心とした125社のお宮とお社の総称のことで、正式には「神宮」といいます。

 

伊野天照皇大神宮の手前を流れる五十鈴川

 

五十鈴橋

 

縣社天照皇大神宮」の石碑

縣社(けんしゃ)とは

近代社格の府県社とは、明治期から第二次世界大戦終結まで使われていました、日本の神社の社格を表すものの一つであり東京・京都・大阪では府社、それ以外は北海道も含め県社(縣社)と呼ばれていました。

府県社は一般的に、官幣社(大社、中社、小社)・国幣社(大社、中社、小社)の下に位置づけられ、郷社・村社の上の格付けとなります。他に、別格官幣社などもありました。

官・国幣社は総じて、複数の県にまたがるか、あるいは全国規模で古来よく知られた、崇敬されてきた神社や、明治期に創建された重要とされた神社が指定されます。

それに対して、府県社は、その都道府県のみにおいて、有力な神社が選ばれている傾向があるようでいわば、その都道府県の中においては極めて由緒正しく、ご当地の知られざる名社が名を連ねている場合も多かったようです。

 

拝殿

 

天照皇大神宮

天の逆鉾

天照大神が天から天逆鉾を伊勢に投げ下ろしたとし内宮御酒殿に保管されています。

 

古神殿跡

 

夫婦杉

根が交わっており夫婦和合、家庭円満の守り神

 

岩井の滝

 

伊野天照皇大神宮の参道が遠見岳登山口

 

遠見岳へ

 

登山道はとても急で横を見下ろすと落ちたらまず死は間違いないと思えるほどの絶壁でした。

 

遠見岳323mからの眺め 

 

神功皇后がこの裏の山に登って国見をしたことから、その山を遠見岳と呼ぶようになりました。地元では神路(かみぢ)山とも呼ばれています。
歩いて30分ほどで頂上に着き、山頂からは玄界灘がパノラマのように開けて見えます。

 

 

出雲大社福岡分院は明治28年(1895年)明治政府は開国後の国威昂揚、国民の生活向上、人心の安定を図り日本古来の伝承である日本神道の復興と復活を兼ね布教の教化活動を目的に創建されました。

一方伊野天照皇大神宮仲哀天皇9年(西暦200年)神功皇后が三韓征伐を記念して天照大神を祀ったのがその始まりとされています。

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塾長より

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