こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。
山鹿の不動岩
所在地:熊本県山鹿市蒲生
この不動岩は標高389mの蒲生山(かもうやま)の斜面にそそり立っています。
岩の高さは約80m、根回りは100m。
不動岩はまだ日本列島の形ができていない5億年以上も前の古生代にできたもので、奇岩名勝として熊本二十五景のひとつにも数えられています。
間近まで車で行けます。
山鹿温泉さくら湯
さくら湯は寛永17年(1640年)の肥後細川藩の山鹿御茶屋に端を発し、明治31年(1898年)の道後温泉の棟梁による大改修等を重ねながら、昭和48年(1973年)に取り壊されました。その後は、再開発ビル(山鹿温泉プラザ)の一部となり、営業を続けながら山鹿温泉の元湯として使われて来ました。
平成24年(2012年)に日本の伝統工法による九州最大級の趣のある木造温泉として往時の姿で甦りました。
龍の湯(御前の湯)
江戸時代、肥後細川藩主の入浴に使われる「御前の湯」の天井絵として、藩のお抱え絵師で狩野派の流れをくむ狩野洞容(山鹿市出身)が描いたと伝えられている双龍の絵が掲げられてあったことから、後に「龍の湯」呼ばれるようになりました。描かれた白龍と青龍が湯面上に映って見え、湯面が揺れるとあたかも二頭が躍動しているように見えたそうです。
龍の天井絵
熊本城
大天守と小天守
宇土櫓
拡大して見ると地震当時の被害の痕がそのまま残っています。
名前の由来は、熊本市の南にある宇土地域を治めていた小西行長が関ヶ原で戦死した後、行長の家臣の一部を清正が召し抱え、櫓をこの一団に管理させたからともいわれています。かつては宇土城天守閣を移築したとの説もありましたが、平成元年(1989)の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定的な意見が主流となっているようです。
築造年代が異なる二様の石垣
古い石垣は加藤清正が、新しい石垣は清正の息子忠広が築造。
熊本地震で崩壊
長さ242mの長塀の夜景
熊本屋台村
桂花ラーメン
熊本屋台村が出来たこの場所に、わたしが50数年前に新入社員として勤めていた勤務先があり残業の時、配達してもらいよく食べた懐かしのラーメンで今も味は変わりありませんでした。
道中の「熊本市から一番近い棚田」(「」内はうたい文句)
前田家別邸
夏目漱石の小説「草枕」の舞台
所在地:熊本県玉名市小天
ここは自由民権運動家で第1回衆議院議員を務めた小天の前田案山子(かかし)の別邸で、明治30年(1897)暮、五高教授夏目漱石が訪れ、正月の数日を過ごした宿の跡です。漱石はこの時の体験をもとに小説「草枕」を発表。作品中「那古井の宿」として描かれているこの屋敷跡には、今も漱石が宿泊した「離れ」(漱石館)と主人公が浴場に現れた裸体の女性(前田家の次女ツナ、小説では「那美」)と出会う有名な場面を生んだ浴場が残されています。
漱石館
「草枕」に登場する今も現存する浴場
小説「草枕」
小天が「那古井」という架空の地名で描かれていて、前田家の次女ツナは「那美」として登場。
ツナや妹ツチとその夫自由民権思想家宮崎滔天(熊本県荒尾市)は孫文の辛亥革命を支援。滔天とツチの長男龍介は白蓮事件のあと白蓮と結婚。
辛亥革命
辛亥革命は1911年に中国で起こった清を倒して近代的な国家をつくろうとした革命。その中心となったのが孫文。
辛亥革命の結果、翌年の1912年に中華民国(現台湾)が建国。
中華民国は孫文を臨時大総統とし南京を首都とする。
孫文は1948年から始まった第二次国共内戦によって毛沢東率いる中国共産党に敗北し1949年台湾に退く。大陸で1949年中華人民共和国(中国)成立。
中国は台湾について、もともと中国の省だった歴史があるとしている。しかし、台湾は同じ歴史を根拠に、自分たちは1911年の辛亥革命後に初めて建国された近代中国であり、1949年に毛沢東政権下で建国された中華人民共和国の一部だったことは一度もないと主張している。
花の館
所在地:熊本県玉名市天水町小天748
遠くに有明海や雲仙を一望できるカフェテラス
ドリンクバー付きで600円
今回の一泊二日の旅は50数年前に熊本で勤務していた頃の同僚に車で山鹿、熊本、金峰山の小説草枕の「峠の茶屋」を通り小天を案内してもらいました。
勤務先があった場所に出来ている熊本屋台村で盃を傾けながら夜遅くまで当時の思い出話しに花が咲き、残業で食べていた桂花ラーメンで締めました。
二日間の運転ありがとうございました。お陰様でとても楽しい思い出いっぱいの旅になりました。お疲れさまでした。
▶fukuda0917@yahoo.ne.jp
塾長より
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福田塾長さん
熊本を離れて18年、見馴れた風景、知っているはずの風景を、懐かしく、興味深く拝見しました。気のおけない旧同僚とのドライブ、散策、よかったですねェ~! 特に、夜の食べ歩きは最高でしたね。山鹿の不動岩、何度か撮影に行ったことがあります。ロッククライミングの練習に使われているとか聞いたことがあります。まだまだ、隠れた名所・旧跡も多い熊本、次シリーズを楽しみにしております。
Storchさんコメントありがとうございます。熊本懐かしく思い出されたならよかったです。次回は細川家の菩提寺北岡自然公園や花岡山、島田美術館などまだまだ案内したいところが残っていますとのことでした。
少年時代熊本にいましたが知らない処が多く新知識で勉強になります、当時不動岩という熊本出身の力士がいました、テレビのない時代ですが大男とは聞いていました、この写真を見てきっとこれが由来だと思います、身長214センチ、最高関脇、双葉山の露払もしたそうです、懐かしい思い出です。
若宮征之助さんコメントありがとうございます。熊本に住んでおられたのですね。少年時代は名所旧跡や歴史などにはほとんど興味がないですよね。私も今回案内してもらって初めて行きました。不動岩、熊本出身のようですからこの不動岩からとっているんでしょうね。そういう由来がわかるとより理解が深まりますね。
こんばんは!熊本の旅拝見致しました。特に小天には6歳から高校卒業まで過ごしていましたので、那古井温泉のナミさんの話を祖母から中学時代に聞いていましたので、懐かしかったです。「智に働けば角が立つ情に…とかくこのよは住みにくい…」草枕の冒頭。
ふるさとに戻ったようでした。
からつくちさんは小天にお住まいだったのですね。確か玉名の高校までは10数kmの道を自転車で通学していたとお聞きしたことがありました。懐かしく思い出していただけたならよかったです。
熊本地震で崩壊した熊本城の石垣は清正公の息子さんが築造したんですね、勉強になりました
けいちゃんコメントありがとうございます。熊本城は親子二代にまたがり造っているのですね。
山鹿を舞台にした映画「骨なし灯籠」が来春上映されますが、さくら湯、八千代座、灯籠民芸館などと共に豊前街道歩きながらの山鹿の魅力を世界に発信する映画で高校の後輩がプロデューサーです。また山鹿は母の郷里で懐かしい所です。
はっちゃんコメントありがとうございます。
山鹿の映画での情報発信とはすばらしいアイディアですね。お母さんの故郷でもあったんですね。
不動岩懐かしいです!山鹿の友人に連れて行かれて“ただ大きな岩だなぁ”と思っただけでしたが、奇岩の一つなんですね。遠くからでもその大きな岩はを見る事ができます。さくら湯の天井がそんなになっているとは、これは帰省の折に行って見てみたいですね。それから熊本にも屋台村が出来たんですね。熊本もこれからますます賑わいますね♪そして、小天の前田家別邸、草枕の舞台になってて、あの「白蓮事件」の宮崎さんの名前がここで聞けるとは…
ミカンの美味しい所だけではなかったんですね。たくさんの驚きと発見がありました。塾長いつもありがとうございます。
梅小町さんコメント欄ありがとうございます。
峠の茶屋から小天の前田家別邸と草枕の舞台を廻りましたけど小天は有明海や雲仙も見え天気もよかったので桃源郷とはこういう所を言うんだなと思いました。
私も行ったところありまぁす。
不動岩は、熊本のお寺の方に連れて行ってもらいました。
さくら湯は、建物を見に行きました♨
熊本城は、修繕中でした。
まいまいさん熊本もよく廻ってますね。まいまいさんは人気者だから行くところ行く所でたくさんの人の応援があるようですね。