こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

友だちと熊本の旅パートⅠで熊本城、武蔵塚に行ってきました。パートⅡ、Ⅲに分けてアップします。

熊本城

熊本市役所14階から熊本城全貌が展望できます。

 

熊本城の復興状況

2016年の熊本地震で被災し、修復が完了した熊本城の天守閣内部が2021.6.28一般公開されました。 地震では天守閣のほか重要文化財のやぐらなど多数の建物や石垣が損壊し、完全復旧は2037年ごろの見込み。

 

長塀

 

東の武蔵塚(武蔵塚公園)

所在地:熊本市北区龍田弓削1丁目1232

 

剣豪 宮本武蔵

1584年現兵庫県とも1582年現岡山県の生ともいわれ1645年62才にて没。

13才から28~9才まで60余回の勝負に一度も負けたことがない。

また武蔵は武術だけでなく茶や禅、書画、彫刻家でもあった。

 

大小二刀を用いる二天一流(五方の形)

「二天一流」と呼ぶのは大小二刀を遣うから付けたのではなく、武蔵が晩年に泰勝寺の春山和尚から授けられた号「二天道楽」の二天からきています。

「二天道楽」とは剣術だけでなく画家としても「枯木鳴鵙(こぼくめいげき)図」「鵜図」「紅梅鳩図」といった重要文化財の水墨画を書くような才があったからです。天は二物を与えたわけです。

 

1640年57才の時、細川家三代忠利公に軍事、政治の顧問として肥後熊本に招かれる。

忠利公没後、金峰山の霊窟洞にこもり「五輪の書」を著す。

 

武蔵塚

 

この場所は当時参勤交代の主要道であった大津街道に面したところで、自らが仕えた忠利公の参勤交代の折、その無事を祈りたいとの武蔵の遺言により葬られている。

 

茶室 清靖亭

 

西の武蔵塚

所在地:熊本市西区島崎7―12-5

 

宮本武蔵

 

この塚は城下の西郊にあるところから西の武蔵塚と呼ばれ、武蔵の高弟寺尾家の墓域である。死の直前の武蔵が寺尾求馬助に「兵法三十五個条」を、その兄孫之丞に「五輪書」を授けて二天一流の正系を伝えたところから、愛弟子の墓域に葬られたという説もある。

武蔵塚

 

高弟 寺尾信行の墓

 

 

熊本大津に泊まり1泊2食(馬刺し、肝刺し付き)で3,900円、お土産2,000円相当分付き、買い物券2,000円付き、締めてチャラのとてもお得な旅でした。

今回の旅は熊本の友だちが計画、車で案内してくれました。とてもお世話の行き届く人で感謝しています。ありがとうござました。

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塾長より

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