こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日久留米の高良山と高良大社に行ってきました。

高良山の案内図

行程

高良大社まで車で行き

・歩いて:高良大社→奥宮→高良山山頂、毘沙門岳城、ランチ→高良大社

・車で下りながら高良大社→孟宗金明竹→神籠石→一の鳥居→帰路。

一の鳥居(国の重要文化財)

1655年久留米藩2代藩主寄進

石材は領内の15才から60才の男子10万人が運んだといわれています。

 

筑後国 一の宮 高良大社

(一の宮とはその地域の中で最も社格の高いとされる神社)

 

 

本殿(国の重要文化財)

400年創建、1661年久留米藩3代藩主寄進

神社建築としては九州最大級の大きさ

 

奥宮(奥ノ院)

かって毘沙門堂があり毘沙門岳はこの名に因みます。

 

霊水が湧く聖地

 

 

 

 

「菜の花の 遥かに黄なりし 筑後川」漱石

 

魚鱗草(銀竜草)

魚の鱗のようです。高さ5cmほど。

 

高良山山頂312m

●毘沙門岳城(詳細不明) 

南北朝時代の1359年、筑後川合戦(太刀洗の戦い)に際し南朝の懐良親王と菊池氏が拠点にしたと伝わっています。

 

高良山には以下の城もあります。

●鶴ヶ城・・築城時期不明

●杉ノ城・・南北朝時代、菊池氏が籠城したと伝わる。

●吉見岳城・・豊臣秀吉が陣を置いたと伝わる。

 

筑後平野を眼下に遠くに宝満山

 

孟宗金明竹(国指定天然記念物)

金色の節と淡緑色の縦しまが節ごとに交互にあります。

金明竹は全国にありますけど孟宗金明竹は、ここと太宰府を含めて全国に4ケ所だけです。

 

 

 

 

太宰府の孟宗金明竹 ↓

神籠石

本殿から山裾まで約1500mにわたって、1300個の巨石が神域を取り囲むように列なっています。7世紀頃の古代の山城の石垣と考える「山城説」と神域の標示と考える神域説との神籠石論争が続いています。

 

 

高良山は古代より宗教的な山として祀られ、山中には多くの寺社が設けらました。また筑前、肥後、肥前、豊後への道が交差する軍事上の要地にあたり、山頂やその周辺にはいくつもの城が築かれました。

南北朝時代には菊池氏が拠点を構え、豊臣秀吉が全国制覇をするまでの戦国時代には豊後大友、肥前竜造寺、薩摩島津の三つ巴の激戦の地でもありました。

高良山に神籠石が築かれたのはここに軍事上の拠点として城を築いた山城説と宗教的な山としての神域説の論争があるのもうなずけます。

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塾長より

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