こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

NHK「麒麟がくる」が放送されていた頃、私の菩提寺太宰府西正寺の門徒会通信に投稿した文です。

「明智光秀」と太宰府岩屋城城主「高橋紹運」の共通項

(彼ら二人の結婚に関するエピソード)

NHK「麒麟がくる」の明智光秀(15281582

結婚前、相手の煕子(ひろこ)が天然痘にかかり幸いにも天然痘は治りましたが顔にあばたが残ってしまいました。煕子の父は願ってもないこの縁談話を潰したくなかったので、かわりに煕子の妹芳子を光秀に嫁がせようとしました。美人の誉れ高い姉妹は驚くほどよく似ていたのです。

しかし光秀は妹に気づき「人の容貌はすぐ変わるが、心の美しさは変わらない」といって煕子と結婚しました。娘には後の熊本城城主細川忠興の妻ガラシャ夫人になる玉(たま)がいました。

西正寺が菩提寺の太宰府岩屋城城主の高橋紹運(15481586

紹運(じょううん)は斎藤鎮実(しげざね)の娘(後の宋雲尼)との結婚が決まっていましたが、度重なる戦で婚儀が延び、その間に鎮実の娘は天然痘を罹い、顔にあばたが残ってしまいました。鎮実は破談を申し出ましたが、紹運は「私は彼女の容姿で婚約を決めたのではなく、心の優しさに惹かれて婚約を決めたのだから、容姿が変わろうとも問題はありません」といって結婚しました。息子には後に柳川藩藩主になる立花宗茂がいました。

 

戦国時代の名将と称えられる人物は戦略、知略に優れていることはもちろん人に感動を与えるような人物でもあったようです。

なお、高橋紹運の重臣、藤内左右衛門丞重勝(西正寺現19代住職の先祖)は、現西正寺の場所に草庵を構え、岩屋城の戦いでの戦没者の菩提を弔い、出家して正順と号し西正寺を開きました。

明智光秀墓所

(2020.11.15 高野山で撮影)

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塾長より

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