こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日仲間と朝倉の麻氐良城に行って来ました。

麻氐良城(左右良城ともいう)

所在地:福岡県朝倉市麻氐良山

麻氐良城は秋月氏が豊後大友氏の攻撃に備え、朝倉市の筑後川の北岸に位置する標高295mの麻氐良山の山頂に築きました。

福岡黒田藩時代には筑前六端城の一つに数えられ麻氐良城(城主栗山善助→栗山大膳)が朝倉地方を支配していました。

筑前六端城

1600年、関ヶ原合戦の功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は、翌年から福岡城の築城にとりかかりました。また同時に国境の守りを固めるため1610年までの間に、この麻氐良城をはじめ若松城、黒崎城、大隈城(益富城) 、鷹取城、小石原松尾城の「筑前六端城」を築きました。

尚、黒田家と細川家とは不仲であったため「筑前六端城」は豊前(当時は細川領であった)との国境に築かれているが、この麻氐良城だけは筑後との国境にありました。

麻氐良山の麓には普門院

747年 第45代聖武天皇の勅願により僧行基創建。

 

 

 

本堂

県下で一番古い鎌倉時代の仏寺建造物

本堂と本尊の十一面観音立像ともに国の重要文化財

 

ビャクシン

福岡県指定の天然記念物

桧科、樹高7.6m、樹齢350年

 

 

不動明王

 

道中の柿畑

この山麓一帯は杷木町の特産である柿などの果樹園となっています。

 

熊野神社

(麻氐良布神社下宮)

麻氐良城跡の石碑があります。

 

 

ここから山頂への登り口がわからず、しばらく迷い畑仕事の方に教えてもらいやっとのこと登り始めました。

目立つような案内板が必要ですね。

 

道中の山ハッカ

 

山頂へはつづら折りの道を30分程登ります。

 

石の祠

 

磨崖仏でしょうか。

 

295mの麻氐良山山頂

 

山頂の麻氐良布神社上宮

斉明天皇征西伝説に関連する神社のようで詳しいことはわかっていないようです。

 

山頂が麻氐良城の本丸跡

 

アッちゃんは重いココナッツを担いで来てみんなでご相伴。

 

 

帰りに丘にある香山昇竜大観世音菩薩を見に行きました。

高さ28m

所在地:福岡県朝倉市杷木志波

 

 

ぼけ封じ観世音菩薩

 

 

丘の上から遠くに未納連山、眼下に筑後川

 

平成ビューホテルで温泉に入りました。

 

 

福岡城の筑前六端城の中で若松城、黒崎城、小石原松尾城には行っているので、あとこの麻氐良城、高取城、益富城になっていました。

今回は麻氐良城の訪問ができ、帰りには温泉にも浸かり最高の秋の行楽になりました。

みなさんお疲れさまでした。

 

PS以下うっちゃんより

益富城(別名大隈城)

所在地:福岡県嘉麻市中益

益富城は遠賀川の北岸にある標高189mの益富山山頂に築かれていました。

黒田長政は六端城の一つとして益富城を後藤又兵衛に一万六千石を与えて城主としましたが、1606年に又兵衛が逐電すると、鷹取山城より母里太兵衛を移しました。

豊臣秀吉時代には秀吉は秋月種実に破却された益富城に「一夜城」を築いて種実を滅ぼしたという話もあります。

益富城跡

 

 

母里太兵衛の墓地がある麟翁寺

 

 

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塾長より

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