こんにちは!太宰府魅力発見塾塾長の福田です。

先日サークル仲間と大宰府市国分界隈の史跡巡りをしてきました。

姿見井(すがたみのい)(鏡池)

菅原道真公が衣服を着替えるために自分の姿を映した井戸。

住所:福岡県太宰府市国分2-182

①現地案内板

「901年1月25日、右大臣であった菅原道真は、太宰権帥に任命され、太宰府に来ることになりました。道真は水城の東門から大宰府に入り、この付近で衣類を着替えたと伝えられています。

その時、自分の姿を映した井戸(池)が、この井戸と伝えられ、のちに姿見井や鏡池と呼ばれるようになりました。

この付近の小字を衣掛といい、周辺には衣掛天神衣掛石など菅原道真にまつわる伝説が多く残されています」。

 

 

姿見井(鏡池)

②現地案内板

「菅原道真が衣服を着替えるために自分の姿を映した井戸。戦前までは山側から水が流れ込み、澄んだ水が溜まっていたそうです。戦後、山水が入らなくなると荒廃してしまい、埋められた後には歌碑が建てられていました。

この石垣の築造年代は不明ですが、おそらく近世以降に積まれたものと推測されます」。

                 平成24年2月 太宰府市

 

石碑

「この場所は、菅原道真が自分の姿を映したという伝説の残る井戸の跡である」。

 

 

衣掛石

着替えた衣を掛けたという石

旧3号線沿いの衣掛石

この衣掛石の奥10mほどの場所に姿見井があります。

 

 

衣掛天神

 

「衣挂天神」の扁額の”挂”の字は,「かける」の他に「衣裳」の意味があります。

 

衣掛天満宮

案内板

「衣掛天満宮(きぬかけてんまんぐう)」
衣掛天満宮は、菅原道真が大宰府に配流されてきた時、装束を改めるため、衣を石または松に掛けたことがおこりとされています。また,道真が姿を映し、涙したといわれる姿見井(すがたみのい)が20m福岡側にあります。
現在の地に祀(まつ)られるようになったのは、少なくとも300年前頃からで、江戸時代の記録に記されています。
階段の上にある拝殿の中には、昭和28年、枯れた神木の松を惜しみ、加工された扁額と絵馬があります」。平成25年3月

 

 

 

拝殿の中には、昭和28年、枯れた神木の松を惜しみ、加工された扁額と絵馬があります。

お汐井について

本殿裏にあります。

「お汐井」は「清め」の意味があり、体に振りかけたり普段から様々な場面で清めの塩と同じように使用され博多独特の光景です。

 

 

 

 

道真公が京から配流されてきて、装束を改めるため姿を映し、涙したといわれる姿見井、栄転での姿見であれば心も弾みましょうけど勤めも叶わずこれから無給の生活が始まることを思えば心境如何ばかりかと偲ばれます。

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塾長より

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